「元禄百妖箱」 善玉なき忠臣蔵世界
生類憐れみの令を発布し、人々を苦しめる徳川綱吉の母・桂昌院の正体は、九尾の狐だった。綱吉と柳沢吉保とともに日本を滅ぼそうとする彼らの正体に気付いた神官・羽倉斎は、異国の狐を滅ぼさんとする。しかしその争いの中に吉良上野介と浅野内匠頭が巻き込まれたことから、事態は思わぬ方向へ…
10日ほど遅れましたが、12月14日は赤穂浪士討ち入りの日というわけで、伝奇な忠臣蔵を。
忠臣蔵といえば元禄時代、元禄時代といえば徳川綱吉と生類憐れみの令…その生類憐れみの令を出したのが、実は殺生石の封印から解かれた金毛九尾の狐だった、という大変なお話であります。
玉藻前に化けた九尾の狐が変じ、玄翁和尚に打ち砕かれたという殺生石。その殺生石を、ある武士が破壊したことから、物語は始まります。
封印を解かれた九尾の狐は、二匹の眷属を連れて世に現れ、桂昌院と徳川綱吉、柳沢吉保に変じて、人々を苦しめるために生類憐れみの令を発布します。
その企てに気付いたのが、伏見稲荷の神官・羽倉斎(後の荷田春満!)。彼は持てる秘力を用いて、勅使饗応の機に乗じて異国の狐たちを討たんとするのですが…
しかしその企ては失敗――どころか、吉良と浅野がそれに巻き込まれて刃傷沙汰を起こし、浅野家がお取りつぶしになる羽目に。
さらに唯一九尾の狐を封じる力を持つモノが、吉良の手に渡ったことから、羽倉斎は浪士討ち入りを焚きつけることになります。
そう、本作においては、忠臣蔵の物語は九尾の狐と羽倉斎の争いに巻き込まれ、いわばついでに生まれたものに過ぎません。
当然、そこには忠義という美徳が入り込む余地はなく、ただ運命に翻弄される人々の阿鼻叫喚があるのみ…
例えば大石内蔵助は、本作においては正真正銘の昼行灯。仕事に対する熱意はさらさらなく、家のお取り潰しの際にも、一刻も早く逃げだそうとばかり考えている人物として描かれます。
その大石が討ち入りの先頭に立つこととなったのには、羽倉の陰謀(としか言いようがない)があるのですが…
その羽倉も決してヒーローではなく、むしろ非常識な一種の怪人として描かれている点なども合わせて、悪役はいるが善玉はおらず、ただ振り回され、死んでいく者がいるのみというのが本作の構造。
この辺り、声高に忠臣蔵の偽善性を訴えるよりもさらにキツい、いかにも作者らしい意地の悪さであると感心いたします。
もっとも、趣向の面白さはあるものの、物語としてこの内容が楽しいかといえば、個人的には疑問であります。
人は運命に、巨大な力の前にはただ動かされるしかないのか? という想いに、力一杯「Yes」と答えられてしまうと――本作のメインキャラの一人、未来視の力を持ってしまった堀部安兵衛などはまさにそれを体現しているのですが――、正直なところ、寂しい想いしか残らないのですが…
(それが作者の作品だよ、と言われたらそれまでではあります)
もっとも、そんな物語が、後世にどう語り継がれているかを考えれば、それ自体が痛烈な皮肉であり――その点も含めて、本作の味と解すべきなのかもしれませんが。
「元禄百妖箱」(田中啓文 講談社) Amazon

| 固定リンク

コメント