「無限の住人」 第九幕「夢弾」
アニメ版「無限の住人」第9話は、乙橘槇絵篇の後編。
前回のラストで、天津と自分が、決して人並みの男と女の関係ではいられないことに気付いてしまった槇絵は、天津に終生協力することの証として万次を討つと誓うのですが…
実は天津と槇絵の出会いは、子供時代から。しかしその出会いも、子供らしさなど微塵もなく、ただ後に凛の父が継ぐことになる無天一流への復讐に凝り固まった天津の祖父を介しての血なまぐさいもの…
その中で槇絵が天津をどう感じたかは直接描写はされませんが、天津にとって、子供時代から圧倒的だった槇絵の剣力は、仰ぎ見るべき憧憬の対象だったのでしょう。
(しかし、子供時代の天津は、何というか、こう、リアリティのない子供だなあ…)
そして、その存在自体が侍というものを否定し、嘲笑うものであるような槇絵の存在が、天津が逸刀流を作る一因になったと考えれば、その意外な存在の大きさというものを考えさせられます。
――それが、全ての行き違いのもとだったのかもしれませんが。
さて、再び現れた槇絵に対し、万次はこれからお楽しみと偽って凛を引き離し、単身槇絵との決闘に向かうのですが…
しかしこの決闘シーン、漫画で読んだときは特に感じませんでしたが、町中で長々と斬り合いしているというのに、誰も通りかからないというのはいかがなものか。
百人斬りの万次が表を歩いてもおとがめなしなのは、まあ泳がされていたから、と原作では後で説明されましたが、今回のこれはいただけない。
こういうところで興を削がれて話に集中できなくなるのはもったいないことです。
と、文句はさておき、バトルとしてはかなり面白かった万次対槇絵。
正直なところ、逸刀流に対してはあまり勝率の高くない万次さんは今回も大いに苦戦するのですが、しかしそれでも、お互いの長所と短所が噛み合った好勝負という印象です。
常人離れした速度を持ち、手数とテクニックで勝る槇絵――女の非力さを、長物を使うことにより遠心力で補うという説明も面白い――に対し、万次はそれこそ無限に近い耐久力の持ち主。槇絵が押し勝つか、万次がそれを耐えて一発返すか…なかなかスリリングな戦いです。
さらに万次は、戦いの中で次々と武器を落とした上に、自分の片腕を斬らせることで軽量化して、スピードの上でも槇絵に対抗しようと図るのですが、この辺りは万次でなければ不可能な、破天荒な戦法で、実に面白いではありませんか。
そしてその中でも、一度動きを止めれば、人を殺したときの恐怖が蘇るという槇絵。その彼女を叱咤激励し、立ち上がらせるのが、敵である万次というのも、色々な意味で面白い(万次さん最強の武器は口車のような気すらしてきましたよ)。
それはさておき、剣を捨てられない理由を思い出せ、そのために戦えと語る万次の言葉は、槇絵の生い立ち・戦う理由を知らずして、槇絵に一つの救いを与えていたというのは、なかなかよくできていると思います。
そしてもう一つ、彼女に救いを与えたのは、凛の存在であります。結局、槇絵には及ばなかった万次。しかし地に伏した彼を庇ったのは、ようやく二人の戦いに気づいた凛。
剣力は全く及ばないながら自分の前に立つ凛、天津と逸刀流に戦いを挑む凛に、槇絵は問います。
大義名分もなく私怨のために人を斬ることが、人として正しいことか考えたことはないのか――と。
言うまでもなくこれは、槇絵自身が自分自身に問いかけている言葉。
天津のように大義名分を持つのではなく、自分と母を家から追った父に対する恨みを胸に剣を振るう――もっとも彼女の場合、その恨みを貫くこともできなかったのですが――自分への言葉であります。
それに対して、己の正義ならざることを知りつつも人間としてその手を汚さんとする凛と、その彼女を己の身を捨てて守り、その剣となって戦う万次と…その二人の姿が、槇絵にとっては最高の答えなのでしょう。
万次たちを討つことなく、天津とも別れ、一人槇絵が己の道を歩み始めたところで、今回の物語は終わります。
正直なところ、槇絵が剣人と女郎を対比するのは、やはり乱暴すぎるようには感じます(もちろん彼女にとっては、己の行く道がその両極端にしかなかったのであり、そのある種の歪みなさこそが、彼女の不幸なのでしょうが…)
しかし、それであっても、二人寄り添う万次と凛、二人離れていく天津と槇絵を対比する構造は美しく、これで絵的に前回並みのクオリティであれば文句なしだったのですが、まあそれを差し引いても良いお話でした。
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