「家康、死す」 孤独なる家康との戦い
二六歳の徳川家康が何者かに暗殺された。家康の股肱の臣・世良田次郎三郎は、家康の異母弟が家康と瓜二つであることを知り、影武者に仕立て上げる。だが、あまりに見事な影武者の家康ぶりに、全てが仕組まれたことではと疑問を抱き、一人真相を探り始めた次郎三郎。徳川家を守るため、次郎三郎の孤独な戦いが始まる。
宮本昌孝が徳川家康影武者説に挑んだ「家康、死す」上下巻であります。
家康が影武者と聞けば、言うまでもなく隆慶一郎の「影武者徳川家康」が思い浮かびますが、あちらが関ヶ原で家康が亡くなった、という設定なのに対し、本作は、二六歳の時点で家康が亡くなっていた、という設定で、物語が展開していくこととなります。
家康が二六歳だった時点の徳川家は、ようやく三河を平定したものの、東海進出を虎視眈々と狙う武田信玄と、苛烈極まりない同盟者である織田信長、そして衰退に向かっているとはいえ今川家に囲まれ、決して弱みを見せることができない状態。
いまだ嫡男・信康が幼い状態において、家康の死は、そのまま徳川家の滅亡に直結するわけで、物語をそこから始めるという設定の妙にまず感心いたします。
さて、本作の主人公は、「影武者…」と同じ世良田次郎三郎ではありますが、しかしその立ち位置が全く異なることは言うまでもありません。
本作の次郎三郎は、家康の人質時代から、常に近くにあった股肱の臣であり、家康には兄とも頼まれた男という設定。そんな彼にとって、家康の死はこの上もない痛手であることは言うまでもありませんが、しかしだからこそ、家康の徳川家を潰すわけにはいかない。
そのため、僧となっていた家康の異母弟が、家康と瓜二つであったことを奇貨として、彼を影武者に立てるのですが――豈図らんや、それが彼にとっての悪夢の始まりであったとは。
あまりに家康的すぎる影武者の振るまいと、その隙間から見える黒い素顔に違和感を抱いた次郎三郎は、ただ一人、暗殺の犯人から背景事情までを追いかけ始めるのですが…
そう、本作は実はミステリ、サスペンスの色濃い作品。
誰が家康を殺したのか。そしてそれを行わせた者は誰なのか。あまりにも見事な影武者の意味は。誰が味方で誰が敵なのか――次郎三郎は、探偵役として、その恐るべき謎に挑むこととなります。
宮本作品といえば、颯爽たる自由たるヒーローが縦横無尽に活躍する活劇の印象が強いのですが、確かに次郎三郎の男ぶりは宮本ヒーローの系譜に連なるものでありつつも、しかし物語の趣向は、このように、他の宮本作品とは大きく異なります。
次郎三郎が見いだす家康暗殺の恐るべき真相。そしてそれは――物語の内容的にここで詳述できませんが――歴史上でも一種謎となっているある人物の死へと、繋がっていくことなります。
次郎三郎の守ろうとしたもの、守るべきもの。それがもし、彼にとって最大の敵に等しいものであるとすれば…
もちろん、定まった歴史は変えられないことを、その歴史の結末を、我々は知っています。その状況下で、彼がいかに戦うのか…
そこにあるのは、天衣無縫なヒーローの活躍では当然あり得ませんが、しかし、そのある意味絶望的な戦いの姿は、それに勝るとも劣らぬ尊さを持つ、というのは言い過ぎでしょうか。
そして、その次郎三郎の苦闘の姿は、そのまま、大国に挟まれて苦闘する徳川家の姿と重なりあって見えてくるのも面白い。
生き延びるために、己の想いを貫くためには、時に己を曲げ、他者の血を流しても行うべき選択がある…
本作は優れた時代伝奇推理であると同時に、ユニークな徳川家史であるとも言えるでしょう。
物語の趣向的に、どうしても物語は重い方向に行かざるを得ません。また結末も少々急ぎすぎという印象があり、その意味では、残念な部分もあります。
しかし、「影武者徳川家康」という巨峰に対し、全く異なる形で「影武者」の意味付けを行い、全く異なる趣向の物語を展開してみせた、その意気やよし。
宮本伝奇の醍醐味を味合わせつつも、それに留まらない、新しい境地を感じさせる佳品であります。
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