「家康の遺策 関東郡代記録に止めず」 ヒーローなき上田作品
関東郡代・伊奈家を次々と襲う何者かの魔手。それは、伊奈家が代々守ってきたという神君家康の莫大な遺産を狙う、田沼意次が差し向けたものだった。果たして家康の遺産の在処は何処か、そして何故それを伊奈家が守ってきたのか…陰に日に繰り広げられる戦いの果てに、伊奈半左衛門が明かす真実は…
相変わらず快調な上田秀人の幻冬舎文庫初お目見えが、本作「家康の遺策 関東郡代記録に止めず」です。
関東郡代とは、徳川幕府により設置された、いわゆる関八州の天領の行政全てを司る役職。
その管轄する土地は実に二十万石以上、並みの大名の及びもつかぬ規模であります。
この関東郡代、実質は家康に仕えた伊奈忠次以降、伊奈家の世襲の役職であり、伊奈家がその任を外れるとほとんど同時に廃止されたのですが――
実は初代の忠次は、三河譜代の家柄とはいえ、数度にわたって家康の下から出奔した人物。それが、これほどの重職を務め、以後も世襲されたのは何故か…本作の物語は、その謎を中心に回っていくこととなります。
本作において語られるその秘密とは、伊奈家が家康の遺産、実に百万両を護ってきたというもの。
幕府でも密かに語られてきたその秘密を知った田沼意次は、危機に瀕した幕府財政建て直しのため、その百万両を狙い、様々な手で伊奈家を襲うことになります。
もちろん、対する伊奈家の方も、手をこまねいているわけではありません。
時の当主・伊奈忠宥の指揮の下、超実戦派の家臣団は、次々と敵の襲撃を退けていくのですが…
しかし、何故、伊奈家がこの遺産を守ることとなったのか、それは何のためなのか。そして何より、遺産はどこに隠されているのか――物語は、意外な真実を語ることとなります。
幕府の根幹に関わる大秘事、権力を巡る幕閣間の暗闘、その走狗として動かされる浪人や忍びたち…
本作のあらすじや構成要素を見ると、いつもながらの上田節とも思えます。
しかし本作がこれまでの上田作品と大きく異なるのは、ヒーローが不在であるということでしょう。
上田作品では、謎を探り、権力に挑むヒーロー――多くの場合、剣術の達人ながら権謀の世界では未だ未熟な若者――が登場し、物語は彼の視点から進んでいくこととなります。
しかし本作においては、そうしたヒーロー格のキャラクターは存在しません。
もちろん、立ち位置的には、本作の敵役と言うべき田沼意次と対峙する伊奈忠宥が、主人公であることは間違いありません。
しかし彼は全ての秘密を知り、守る立場であり、また自ら刀を取って戦うことはほとんどない人物。
いわば一歩引いた俯瞰した立場から、本作を眺める存在であります。
(ちなみに、上田作品では毎回使い捨てのひどい立場にある伊賀者が、そういう意味ではむしろ主人公的活躍を見せるのがなかなか面白い)
それにより、本作はいかにも上田作品的な要素を用いつつも、大きく異なる印象を与え
ることに成功しているのですが――
しかし、同時にそれが作品のエンターテイメント性を削いでいる印象も否めません。
それがはっきりと示されているのが、本作のラストでしょう。
幾多の戦いの末に、ついに意次との直接対決に臨む忠宥。しかしその内容と結末は、少々…いやかなり意外なものとなっています。
正直なところ、いささか拍子抜けというか、主人公がこれで良いのかと思わされるのですが、しかしヒーローならざる者の選択であれば、それも無理ないものなのかもしれません。
ヒーローなき上田作品…それは、あるいは今後の上田作品の方向性の一つなのかもしれません。
その試みが今回十全に効果を発揮しているかはわかりませんが、しかしそれゆえに強く印象に残る作品であります。
「家康の遺策 関東郡代記録に止めず」(上田秀人 幻冬舎文庫) Amazon

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