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2011.08.22

「爆撃聖徳太子」

 下級官人の小野妹子は、ある事件で厩戸皇子と出会って以来、皇子に振り回される羽目となる。沖縄、高句麗、隋…隋皇帝・煬帝の倭国侵略を阻むため、奇計の数々を案じる厩戸皇子の命を受け、妹子は異国で命がけの死闘を繰り広げることに…日出ずるところの天子と日没するところの天子の戦いの行方は?

 色々な小説を読んできましたが、そのタイトルのインパクトという点では、本作が屈指でありましょう。それもそのはずと言ってよいものか、作者は「諸葛孔明対卑弥呼」の町井登志夫。
 そして、「諸葛孔明対卑弥呼」がそうであったように、本作もまた、キャッチーなタイトルと裏腹に、当時の日本を取り巻く国際情勢を踏まえた、硬派な内容の作品なのであります。

 本作の主人公となるのは、遣隋使として知られる小野妹子。
 「日出ずるところの天子、日没するところの天子に書を致す」という書き出しで知られる国書を隋国皇帝に呈した史実は、日本史の教科書でお馴染みですが、それがどれだけ無謀な行為であったか――それは本作を読めばよくわかります。

 対外的に積極策を取っていた――と言えば聞こえは良いですが、実質的にはその軍事力を背景に、周辺の国家への侵略を進めてきた隋。
 事実、作中では、その隋の圧倒的な戦力の前に苦しめられる沖縄の、高句麗の姿が描かれるのですが、さて、そんな隋を、日の沈む国として下風に見る国書を送るということは、これは挑発行為以外の何ものでもありません。


 そんな、まさに竜の逆鱗に触れる行為を妹子にやらせたのが、厩戸皇子、言うまでもなく聖徳太子その人であるのですが、さて、本作で描かれる太子像がまたとんでもない。
 焦点の定まらぬ視線に、突然「うるさいうるさぁぁぁぁい!」と叫び出し、自らを事もあろうにイエス・キリストの生まれ変わりと嘯く、どう考えても危ない人物なのですが、しかし、いつの間にか他人の弱みを聞きつけ、それでもって脅して自分の言うことを聞かせる…
 いやはや、「聖人」という既存のイメージとはかけ離れた、というも愚かな太子像であります。

 正直なところ、この太子像に嫌悪感を抱いて、それで本作を投げる方もいるのではないか…とすら思うのですが、しかしそれは早計というものではないでしょうか。
 そんな太子と、どういうわけか彼に見込まれてしまった妹子が隋に対して挑む、時に裏からの、時に表からの戦いは、そのまま、当時の日本の置かれた苦境を浮き彫りにするものであるのですから…

 私たちが日本の歴史を考える時、日本の国内のみの歴史を考え、他国との関係史というのは二の次――それが国内に直接の影響を与えた場合のみ、言い換えればなにがしかの結果を残した場合のみに考慮に入れるという傾向が、どうしてもあるのではないかと感じます。
 それはある意味仕方ない部分もあるとは思いますが、しかしそれが一面的なものであることを、特に国内が統一されていなかった、あるいはまだ混沌としていた古代史を見た場合に気付かされます。

 作者の前作に当たる「諸葛孔明対卑弥呼」は、その日本と他国があらゆる意味で混沌と結びついていた時代を浮き彫りにした物語だったのですが、その視点は、実に本作でも健在であります。
 まだ統一政権が生まれて間もない日本において、決して無視できなかった大陸との、それも多大な危険性を孕んだ関係。
 現代の我々が無視しているその関係を、本作は、太子の無茶苦茶な活躍と、それがもたらす伝奇的帰結というオブラートでくるんだ一流のエンターテイメントとして、見せてくれるのです。

 さらに言えば、雲上人であり一種の天才である太子に振り回される凡人・妹子の姿は、そのまま、隋と倭国の関係に比せられるのかもしれませんが――
(そしてそんな凡人のある決断を描くクライマックスと、その後の姿は、我々にある種の感慨を抱かせてくれるのです)


 異形の太子像を通して、あり得たかもしれない古代史のある側面を描く本作。タイトルだけで敬遠しては実に勿体ない作品なのです。

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