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2011.09.29

「帝都妖怪新聞」 怪談が語り継がれる意味

 湯本豪一といえば、妖怪馬鹿にとってはムムッと思わされる名前であります。
 妖怪研究家として、川崎市市民ミュージアムの学芸員として、ユニークな研究、企画を発表してきた人物ですが、その氏による「帝都妖怪新聞」が角川ソフィア文庫から発売されました。

 湯本豪一で○○妖怪新聞、といえば、もちろん名著「明治妖怪新聞」(とその姉妹編「地方発明治妖怪ニュース」)を連想いたします。
 明治時代の日本各地の新聞(いや国外の日本語新聞も含めて)に掲載された怪談奇談、妖怪・怪獣・幽霊・奇瑞にまつわる数々の記事を抜粋し、一冊にまとめた「明治妖怪新聞」。
 その面白さは、掲載された個々の記事の面白さもさることながら、明治という文明開化の時代に、新聞という近代的なメディアに、様々な妖怪譚が掲載されていたという興味深い事実を、驚くほど数多くの具体例を以て教えてくれることでしょう。

 が、贅沢を言えば…というか弱音を吐けば、同書の唯一の欠点は、記事の復刻の収録という形式を取っているが故に、文体も仮名遣いも、全て明治時代のもの、という点。
 もちろん、個々の記事を読むのは難しいものでは全くないのですが、数多くの記事をこのスタイルで読むのは存外疲れます。
 読み物としても十分以上に面白い一冊だけに、その点だけは残念だったのですが――


 と、そこで本書に目を向ければ、基本的な内容は、明治時代の新聞に掲載された怪談奇談という点で、「明治妖怪新聞」と変わるものではないのですが、本書の最大の違いは、記事が現代語訳されて掲載されていることであります。

 さほど厚くない文庫本のこともあり、収録された記事の数としてみれば、ざっと九十数編と、(「明治妖怪新聞」に比べれば)さまで多いものではありません。
 しかし、数多くの事例の中からチョイスされたものだけあって、その内容はそれぞれに実にユニークで、興味深く、ある意味、傑作選と言っても良いように思われます。

 現代人の目から見れば――いや、当時の「知識人」の目から見ても――何とも荒唐無稽なお話も多く含まれている妖怪譚の数々。
 その荒唐無稽さは、新聞というメディアだからこそ、より一層際だって感じられる部分もあります。
 しかし、逆に、それでもなお、そうした内容が、新聞に掲載され、流布されたという事実に、たまらない面白さが感じられます。

 ある内容が情報として加工され、流布される場合、そこには必ず、そうするだけの理由が、意味があります。
 それは、単純にその内容が面白い、興味深いと感じられることもあれば、その内容に仮託し

て何かを伝えたい、警告したいということもあります。あるいは、その内容をあげつらい、その背後にある思想を否定したいということもあるでしょう。

 いずれにせよ、前近代的な怪談話が、ポジティブな取り方であれネガティブな取り方であれ――本書には、腹が立つくらい上から目線で怪談を否定する記事も多く収録されているのですが――近代的な、いや現代にまで通じるメディアである新聞に掲載されるだけの意味があるものとして扱われていたというのは、何だか実に楽しいことではありませんか。

 そしてそれは、近代をくぐり抜け、現代に至るまでも怪談がその命脈を保ち、語り継がれていることの意味、言い換えれば怪談がその内に秘めているものを考える上でも、大いに意味があることに感じられます。


 「明治妖怪新聞」に比べれば、あくまでもダイジェスト的な一冊ではあるかもしれません。
 しかし、熱心なマニアでなくとも、気軽に手に取って読むことができる本書を通じても、怪談が語り継がれることの意味を考えてみることは可能でしょう。
 その意味でも、価値ある一冊であります。

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帝都妖怪新聞 (角川ソフィア文庫)

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