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2011.10.03

「髑髏城の七人」(2011) 再生から継承の髑髏城

 関東髑髏党を率い、関東に覇を唱える仮面の怪人・天魔王。その色町・無界の里に現れた浪人・捨之介は、髑髏城の秘密を知るため、天魔王に追われる少女・沙霧と出会う。狭霧を、無界の里を守るため戦う捨之介と仲間たち。しかし、捨之介自身にも、天魔王との因縁があった。寄る辺なき七人の男女の戦いが、今始まろうとしていた…

(以下の文章には、今回の、及び過去の「髑髏城の七人」の大きなネタバレが含まれているため、未見の方はご注意ください)

 劇団☆新感線の代表作にして、7年に一度復活する伝説の舞台「髑髏城の七人」が、2004年の上演から7年の今年、帰ってきました。

 個人的なお話で恐縮ですが、7年前に上演された「髑髏城の七人 アカドクロ」は、私にとって初の新感線生観劇。
 以来、新感線にどっぷりはまった…のみならず、当時、(伝奇)時代劇はもうダメ(今風に言えばオワコン)なのではないか、と悲嘆に暮れていた自分を大いに勇気づけてくれた…まことに大げさで恐縮ですが、そんな思い出の作品なのです。

 さて、それから7年後の髑髏城ですが――設定や大まかなストーリー展開は、一点を除いてほぼそのまま。
 その意味では、全く心配のない舞台なのですが、まず気になったのが、メインキャストが大幅に若返った点であります。
 これはまあ、初演から21年(!)ということなど考えれば、仕方ない面は確かにあるのですが、しかしもう一つ、大いに気になった点があります。

 それは、捨之介と天魔王が、別キャストになったこと――
 これまでのドクロは、捨之介と天魔王が同一キャストというのが、ある意味最大の特徴であり、内容の方も、もちろんそれを前提としたものでありました。
 それを放棄するメリットもわからなくもありませんが、しかし、それでは作品が骨抜きになりはしないか?

 一見、その懸念は当たってしまったように感じました。何しろ、捨之介と天魔王が若い。いや、役者が若いのではなく、キャラとして若いのです。

 まず捨之介で言えば、キャラが軽すぎる。いや、捨之介という人物は、もともと軽いのですが、その中に、どこか重さ…とは言わないまでも、厚み、裏付けを持った人物でありました(古田新太が演じてたからとか言わない)。
 しかし小栗旬の捨之介は、少なくとも第一幕の姿を見れば、そんな人間としての厚みをあまり感じさせないキャラ、に感じさせられました。

 一方の天魔王の方はさらに違和感が大きく、それまでの迫力やカリスマ性はどこへやら、むしろ本作随一のギャグキャラへと変貌しており、森山未來は確かに良い役者だけれども…と、悪い意味で驚かされました。


 しかし、何の計算も思想もなく、このような設定に、演出にするはずがない――そこで思い至ったのは、やはり本作の、これまでのドクロとの設定の違い、織田信長と二人の関係性の違いでした。

 これまでのドクロにおいては、捨之介と天魔王は、共に信長の影武者であったという設定。
 それが、信長が命を落とし、天魔王がその信長の化身、後継者を任じて覇道に向かったのを、捨之介が止めるというのが、構図でありました。

 それに対して本作においては、捨之介と天魔王(そして蘭兵衛)は、ともに信長の下にあって、天下統一を夢見ていたという設定となっています。
 そして信長を喪った天魔王は、自らが信長たらんことを欲し、その前に捨之介が立ちふさがる、という構図なのです。

 いわば、これまでのドクロが、信長として「再起」せんとする者とそれを阻もうとする者の戦いであったとすれば、本作は、信長を「継承」せんとする者とそれを阻もうとする者の戦い――そう言えるのではないでしょうか。

 だとすれば、捨之介と天魔王の軽さ、厳しく言えば空虚さも納得がいきます。
 彼らは、天と仰いだ――主君とも、指導者とも、先輩とも言える存在を喪失し、それ故生まれた空っぽの自分を埋めようとしているのですから…

 そう考えれば、この二人の人物の――いや、振り返ってみれば、皆どこか未熟なものを抱えた他の登場人物も――人物造形も、納得できるものがあります。
(ちなみに、これまでのドクロでは今一つ納得いかなかった蘭兵衛の後半の行動も、今回はかなり胸に落ちるものがありました)

 さらに言えば、結末において、これまでのドクロにおける捨之介は、いわば自分の分身を殺すことによって自分自身の「再起」の道をもなくしたのに対し、本作においては、「継承」することを「捨」てたことで逆に自分自身として生きる道を手にしたと解釈できるのも、実に興味深いものがあります。


 こうして考えてみると、本作が、本作の結末が作り手側にとってのドクロへの一つの回答とも感じられるのですが、しかしその作中の正否がどうであれ、「継承」を掲げたものは、受け継がれていく必要があるでしょう。

 別人となった捨之介と天魔王の扱いも、まだまだ洗練される必要が――終盤の展開は、いかに改変されたとはいえ、明らかに二人同一キャストの方が腑に落ちるものがあります――あるでしょう。

 何よりも、また7年後まで、時代劇に対して希望を持ち続けていられるように――次のドクロにも期待させていただこうと思います。


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