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2011.11.27

「UN-GO」 第0話「因果論」

 戦争が終わった日本に帰ってきた新十郎は、虎山泉に声をかけられた。新興宗教・別天王会で儀式の最中に信徒が獣に襲われて死ぬ事件が発生しているというのだ。そして別天王会の会師は、かつて新十郎と行動を共にした大野妙心という男だと――しかし大野の死を確信する新十郎は、大野を名乗る男の正体を探り始める。果たして新十郎の過去に何があったのか。因果とは何者か。そして大野の正体と、別天王会の事件の背後に潜むものとは…

 第0話を放送途中に劇場公開されるというユニークなスタイルを取ったことで話題となった「UN-GO 因果論」を観ました。
 新十郎と因果の出会いと彼らの関係の秘密を描くという触れ込みでしたが、そうしたイベント性に止まらない、実に興味深い作品であります。

 さて、本作の原案は、「明治開化 安吾捕物帖」の第3話「魔教の怪」と、シリーズとは全く別の長編「復員殺人事件」。今回も本作と原案を対比すれば――(「因果論」/原案の順)

世良田蒔郎(旅行代理店勤務。新十郎の学生時代の友人)/世良田摩喜太郎(別天王の参謀の一人)
倉田由子(NGO「戦場で歌う会」のメンバー)/倉田由子(倉田家の長男の未亡人)
大野妙心(NGO「戦場で歌う会」のメンバー。後に別天王会の会師?)/大野妙心(別天王の参謀の一人)
山賀達也(NGO「戦場で歌う会」のメンバー)/山賀達也(天王会に財産を奪われた青年貴族)
安田紅美(NGO「戦場で歌う会」のメンバー)/安田クミ(天王会の教祖・別天王を名乗る)
佐分利泰男(NGO「戦場で歌う会」のメンバー)/佐分利ヤス(天王会の信者。何者かに惨殺される)

 上記のうち、倉田由子のみは「復員殺人事件」の登場人物。個人的には「復員」が原案に!? と大いに気になっていたのですが、採用されたのはこの由子と、海外の戦地から帰ってきた男が…という部分程度に見えたのは少々残念であります(しかし原案ではとんでもないビッチだった彼女がこちらでは…という皮肉が面白いのですが)
 一方で本作の中心となるのは、登場人物からもわかるように「魔教の怪」。新興宗教の儀式で魔犬に襲われた者が、その後実際に獣に引き裂かれたような姿で惨殺されるというのは、本作では儀式の場で直接殺されるという変更はあるものの、ほぼ踏襲されております。


 さて、冒頭に述べたとおり、本作は第0話であり劇場版という特殊なスタイルだけあって、普段の「UN-GO」からは、かなり異質な構造の物語と感じられます。
 もちろん、「結城新十郎」誕生篇である以上、物語が普通の探偵もののフォーマットに載らないことはある意味当然ではありますが、今回は新十郎の過去の物語(新十郎と因果との出会い)と、現在の物語(別天王会を巡る怪)が、カットバックで平行して描かれ、絡み合いながら一つの物語を縒り上げていく様は、映画ならではの醍醐味…とのみ評するだけでは足りないものが含まれているやに感じます。

 因果の正体と、新十郎と因果の関係については、最近の本編である程度察することができたのですが、しかし二人の出会いは、こちらの想像を遙かに上回る壮絶なもの。
 新十郎と行動を共にしていたNGOの青年たちが、作中で描かれた「戦争」の最初の犠牲者――というより、その引き金となったことも、本編で触れられていたやに思いますが、しかし、その本当の最期の姿には言葉を失います。

 「真実」を解き明かすというのは、本作全体を貫く、そして新十郎自身の行動原理ではありますが、しかしここで描かれる「真実」の姿は、残酷と言うも愚かな凄まじさ。
 確かに、ここで描かれる真実は、浅ましく、愚かなものであるかもしれません。しかし、我々がそれを笑うことができるのか――その問いかけに自信を持って頷くことができる者がどれだけいるか?
 表面上の残酷さよりもなお一層、その想いが胸に突き刺さります。

 一方、別天王を巡る事件においてもまた、「真実」の存在が大きな意味を持つことになります。
 大野妙心の傍らに立つ美少女・別天王。その存在と能力は、まさに因果の宿敵と呼べるもの。この両者の――そして「結城新十郎」と「大野妙心」の対決は、推理ものというよりもほとんど完全に能力バトルものとなっており、その辺りに違和感を感じる向きもあるかもしれません。
(とはいえ、この「能力」、個人的にはミステリで一番やってはいけないトリックだと感じた原案のそれを、見事に昇華していると言って良いでしょう。また、推理ものと能力バトルの関係については、「ミステリマガジン」最新号の會川昇インタビューをご覧いただきたく)

 しかし、この対決の勝利の切り札となったのが「真実」であり――「真実」を巡る対決なのですから一見当然のようですが――そしてそこで過去の物語と現在の物語が交錯する物語構成の妙には、ただただ感心するしかありません。
 そして、過去と現在、二つの覚悟の象徴として描かれる「歌」に込められた想いを想像するだけでもう…
(またそれが、一定の年齢層以上にはクリティカルヒットする曲だけに、もう!)

 會川昇の作品には、しばしば、自らの居場所を求めてさまよう者の姿が描かれます。それは、新十郎も同じ…だったかもしれません。
 しかし、彼にとってもはや「ここではないどこか」も、己が帰るべき世界も存在しません。彼はもはや、どこに行くこともできず(まさにUN-GO!)この現実で、堕ちて、生きるしかないのです。

 この「因果論」のクライマックスは、単なる能力バトルの結末だけでなく、その厳然たる、あまりに残酷な事実の宣言にほかならないのであります。
 ある意味、全てが終わった時点から始まる――「UN-GO」という物語には、相応しい始まりかもしれません。
(そして、この第0話のラストも、あの人が締めるというのが、如何に変格に見えようと、本作が「UN-GO」であることを示しているようで面白い)


 正直なところ、この「因果論」という物語は、とても簡単には咀嚼できるものではなく――そして、「因果論」を観た後に本編を見返すことにより、新たに見えてくるものも無数にあることでしょう。

 これはまた、「因果論」を観なければ本編は楽しめないということではもちろんありません。
 しかし「UN-GO」という物語に魅力を感じる方であれば、間違いなく「因果論」は観ておくべきだと――それは断言してしまって良いでしょう。


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