「あやし」(その1) 人の中の鬼
宮部みゆきの時代ホラー短編集「あやし」収録作品の紹介を、これから三回に渡って行いたいと思います。
いずれも江戸の町、それも商家を舞台とした恐ろしくも悲しく、美しい作品揃いであります。
「居眠り心中」
木綿問屋の若旦那の子を孕んだという女中のおはる。若旦那の使いで、店を出されたおはるの家を訪れた少年・銀次がそこで見たものは…
最初の作品は、初めて奉公に出た少年・銀次の目を通して描かれる心中奇譚です。
木綿問屋・大黒屋の小僧となり、ふとしたことから店の若旦那に気にいられた銀次。
その若旦那に縁談が持ち上がり、話が順調にまとまったかに見えた時、店の女中・おはるの腹に、若旦那の子供がいることがわかります。
それはまあ、大変ではありますが、珍しくもない(?)話。結局おはるは店を出され、若旦那の縁談は予定通り行われることになります。
しかし、毎晩おはるの夢を見るようになったという若旦那から、彼女の家へ使いを頼まれた銀次は、そこで大変なものを見てしまうのですが…
心中という深刻な響きと、居眠りという気の抜けた言葉と…あまり関係のなさそうな二つの言葉が、クライマックスで見事に結びつく本作。
果たして銀次が見たものは、予知のビジョンだったのか、単なる白昼夢だったのか…冒頭で語られたある因縁話と相まって、謎めいた描写が、不思議な余韻を残します。
そしてまた、本作で感心させられるのは、物語を世間に出たばかりの少年の目から描く点であります。
生々しくなったり、ドロドロとしがちな内容を、まだ男女の間のことに疎い少年を通して描くことで、まるで全てが幻の世界の出来事、まさに白昼夢のように感じられるのです。
「影牢」
ある事件で一族が死に絶えた蝋燭問屋。店の一番番頭だった老人の元を訪れた八丁堀の与力が知った、店のおぞましい内幕とは。
様々な怪談、恐怖譚が収録された本書において、最もおぞましい作品はどれか、と問われれば、おそらくほとんど全ての読者が本作を挙げるのではありますまいか。
主人夫婦と息子三人に娘一人、七人が同時に亡くなった深川の蝋燭問屋・岡田屋で一番番頭を勤めた老人による語りという形式で描かれる本作。
ここで語られるのは、岡田屋で起きた惨劇の真相――いや、岡田屋で行われていた、無惨な所業の数々なのであります。
先代主人夫婦が長きに渡り店の実権を握られていたのが、ようやく当代の主人が跡を継いだ岡田屋。
父たる先代の主人が亡くなり、母たる大おかみが寝付いたとき、当代の主人とその妻が何をしたのか。そしてその息子たちが何をしたのか。
ここに描かれるのは、人間がどこまで他者に対して残忍に振る舞うことができるのか、という記録であります。
怪談ファンの方であれば、あるいは頷いて下さるかもしれませんが、恐怖の対象たる怪異が、時として救いに感じられる物語があります。
それは、怪異に至るまでの経緯、超自然を抜きにした現実が、あまりにおぞましく、恐ろしいものである時に生まれるものであり――本作もまた、その系譜に属するものであります。
そのおぞましき人間の現実を、そして救いとしての怪異を、老人の淡々とした口調で語り切るのもまた見事。
正直なところ、何度も読みたい作品ではないのですが、しかし、強く強く印象に残る、そんな作品であります。
「布団部屋」
頓死した姉の奉公先だった兼子屋に奉公することとなったおゆう。そこには、奉公人を奥の布団部屋に寝かせるという習わしがあった…
代々の主が短命であることと、奉公人の躾の良さで知られる酒屋の兼子屋。
前者はともかく、後者は商売人であれば皆が羨むことではありますが、その兼子屋に奉公することになった少女が、その真実を知ることになります。
兼子屋に奉公していたのが、ある日突然倒れ、そのまま亡くなったおゆうの姉。母のように自分を育ててくれた姉の死を悲しむまもなく、自分も兼子屋に奉公することとなった彼女は、やがて店に不思議な習わしがあることを知ります。
それは、奉公人が一人ずつ、店の北東にある小部屋、かつて布団部屋だった空き部屋で寝かされるというもの。
ただそれだけのことながら、奉公人たちが恐れるその習わしを、おゆうもついに経験することとなるのですが…
習わしの意味は何なのか、おゆうの姉の死との関連は、そして店に秘められたものとは――
物語に散りばめられた謎が結びついて一つの真実を描き出す結末には驚かされます。しかしそれ以上に印象に残るのは、恐ろしくもどこか哀しみを感じさせる怪異の姿と、そしてそれに負けぬ人の心の有りようであります。
鬼を生み出すのが人であるとすれば、それを乗り越えることができるのも人…当たり前かもしれませんが、両者にとって一つの救いとも取れる結末を見るに、そう感じてしまうのです。
次回に続きます。
「あやし」(宮部みゆき 角川ホラー文庫ほか) Amazon

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