「あやし」(その2) 人の想いが生む鬼
宮部みゆきの時代ホラー短編集「あやし」収録作品の紹介、第二回であります。
「梅の雨降る」
縁日で大凶のおみくじを引いたおえん。ある娘を妬んでいた彼女が、凶運が移るように念じたことが悲劇を招くことに…
冒頭で主人公と言えるおえんが亡くなり、その弟が、過去を回想するという、一風変わった形で語られる本作は、悲しい罪の記憶の物語であります。
才気活発でありながらも、その容姿が理由で、別の娘に奉公の口を奪われたおえん。その彼女が、縁日で大凶を引き、かつて聞いたその振り払い方を実行した時、悲劇が起こります。
誰の心にもふとした拍子に訪れる、妬みや憎しみの想い。それが呪いと変わり、そして成就したと知った時に、人の心に訪れるのは、喜びでしょうか、悔やみでしょうか…?
本作で描かれるものは、実は怪異ではないのかもしれません。全ては偶然と、気の迷いの産物と、そう読むこともできるでしょう。
しかし、それが招いた残酷な結果を思えば、そこに人の心の、善悪半ばする人の心の不思議さを感じるほかないのです。
「安達家の鬼」
病床の義母の世話をすることになったわたし。わたしには何も見えないが、人によっては義母に憑いた鬼が見えるというのだが…
女中の身分から、とある商家の主人に嫁いだ語り手を通じて、店の隠居――彼女にとっては義母の秘密が語られる本作。
隠居には、出会った人間の人となりがわかる。いや、彼女に出会った人間で後ろ暗い部分を持つ者は、彼女に何かを見る、と言うべきでしょうか…
語り手は、やがて隠居が若かりし頃に出会った「鬼」の存在を知ることとなります。
「鬼」と言えば、角の生えた怪物を思い出しますが、本作におけるそれは、「人ならざるモノ」の意と理解すれば良いでしょうか。
そして同時にその鬼は、人が、人のある種の想いが生み出したモノでもあります。それをもし鬼以外の言葉で呼ぶとすれば「業」と呼べるのかもしれません。
なるほど、その姿を目にするのは、人によっては何よりも恐ろしいことでしょう…
しかし本作においては、その鬼の姿を見ないことを単純に幸いとはしません。業を背負うということ――それは辛いことにも見えますが、しかし人の生はそれだけではないのですから。
隠居の最期の表情に、それを感じ取るのは、決して楽観的に過ぎるというわけではないと信じたいのです。
「女の首」
母を亡くし、袋物屋に奉公することになった太郎。しかしそこで彼が見たのは、唐紙に現れた、自分にしか見えない女の首の姿だった…
幼い頃から口をきかず、母の手一つで育てられた太郎。その母が亡くなり、おっかないが人情家の差配の紹介で、袋物屋に奉公することになった太郎ですが、しかしそこでの生活は、普通の奉公人のそれとはいささか異なるものでありました。
太郎がそれに違和感を感じ始めた頃、納戸部屋で見つけた唐紙に描かれていたのは、忌まわしい女の首の絵。しかもその絵は他の奉公人には見えず、そして彼の顔を見てにやりと笑ったのでした――
果たして女の首は何者なのか、何故太郎には見えるのか…本書に収録された作品の中では数少ない、はっきりと魔物が正面から登場する本作では、少年の目を通して、悪夢のようなその姿が、生々しく描かれます。
しかし、本作で描かれるのは、魔物の脅威のみではありません。それに立ち向かう、人の想い、そしてそれを嘉するかのような小さな奇跡もまた、同時にあるのです。
本書の中で、特にお気に入りの作品の一つです。
もう一回続きます。
「あやし」(宮部みゆき 角川ホラー文庫ほか) Amazon

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