「かぶき姫 天下一の女」第2巻 そして時代は変わった!
出雲のお国の娘として、「天下一」の称号を巡り、己の行くべき道に悩み惑う少女・お菊の姿を描いた「かぶき姫 天下一の女」の第2巻であります。
「コミックヒストリア」から「コミックフラッパー」に掲載先を移して展開してきた本作ですが、この第2巻で惜しくも完結。
しかしここで描かれるものは、こちらの期待通り、いや期待を上回る見事なドラマでありました。
優れた舞い手として知られ、松梅院禅昌ら権門の後ろ盾を得て、一度は「天下一」の称号を得ながらも、時の権力が豊臣から徳川に移っていくにつれ、次第に芸を見せる機会を失っていくお国と一座。
折悪しくお国は不治の病に倒れ、そのままはかなくなるのですが――そこでお国は、お菊に対して「もう芸人なぞやめろ」という言葉を遺します。
権門にすがらねば、「天下一」の称号はおろか、自由に芸を見せることもままならない芸人という身分。
そんな社会のあり方に苦しみ、しかし己と一座が生きていくためには、母の代わりに踊らねばならないという重圧の板挟みとなり、ついにはお菊は一座を飛び出すまでに追い詰められることになります。
そんなお菊があてどもなく放浪する中に出会ったのは、おヤマと名乗る不思議な美女。彼女と出会ったことで、お菊の前に思わぬ道が開けることとなるのですが――
副題にあるように、本作の中心にあるのは「天下一」という称号であります。
この称号は、本来自称するものではなく、人にそれを許された者のみが名乗ることのできるものでありますが、さて、それでは誰がそれを許すのか。
お菊の母・お国は、それを関白秀吉のような時の権力者――すなわち天下人に求めます。
ある意味、権門にすりより、すがるその姿には、一種やりきれぬものも感じますが、しかし当時の芸能者にとってはそれが当然の姿。権力者によってその芸を――いや、存在を認められて初めて、芸能者たちは生きることができたのですから。
しかしお菊は、お国の姿を、そして自分の経験を通じ、その構造自体に疑問を抱くことになります。
「天下一」とは、本当に天下人に認められてなるものなのか。そもそも、天下人がそれほど優れた存在なのか――
彼女のその問いかけは、言ってみれば、芸能者としての己のあり方のみならず、この時代のあり方まで揺るがしかねない巨大なものであります。
彼女はそれ故に大いに苦しみ、その苦しみは我々にも重くのしかかってくるのですが…
しかし物語の終盤で彼女は、ついにその答を見つけます。それまでの苦しみを、重たさを遙か遠くに吹き飛ばす、痛快極まりないものを。
誰が「天下一」を認めるのか、自分は何のために舞うのか――
ある意味社会構造にまで起因する問題と、彼女自身の生き方の問題。マクロとミクロの二つのレベルの問題は、彼女の中で見事に一つに統合され、そして現代まで続く、芸能の一つのあり方を示すこととなるのです。
時代は変わった、自分が変えた――そんな想いを込めた彼女のラストの言葉に、胸を熱くさせられた次第です。
単行本2冊ということで、特に終盤の展開など、少々慌ただしく感じられた面がなくもありません。
しかし、現在の姿で、この物語で描かれるべきもの、我々が見たかったものをきっちりと見せていただいた…そんな印象が強くあります。
作者の次回作にも期待したいと思います。
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