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2012.02.06

「ひらひら 国芳一門浮世譚」 浮き世の中で生を楽しむということ

 川に身投げしたところを歌川国芳に拾われ、そのまま弟子となった青年武士・田坂伝八郎。豪放磊落な国芳と、個性派揃いの兄弟子たちによって、次第に人間性を取り戻していく伝八郎。しかし彼の過去には、人には言えない秘密があった…

 昨年から現在にかけて、歌川国芳の没後150年を記念して開催されている展覧会が盛況と聞いています。
 私はまだ行っていないのですが、国芳と言えば、水滸伝・猫・妖怪と、私の好物を数多く題材にしている人物。当然、非常に気になっているところです。

 と、これとタイミングを合わせるかのように刊行されたのが、本作「ひらひら 国芳一門浮世譚」。かなり良い評判を聞いていたのですが、なるほど、確かに素晴らしい作品であります。

 本作の主人公(というか狂言回し)となるのは、元武士の青年・田坂伝八郎。
 父を殺して蓄電した仇を追って少年時代から旅を続け、ついに本懐を遂げた…はずが、何故か川に身を投げた伝八郎は、たまたま川遊びをしていた国芳に文字通り拾われ、その絵の才能に目を付けた国芳により、半ば強引に弟子となります。

 彼をとりまくのは、浮世絵師の卵…というにはあまりに個性的な面々。火事があれば真っ先に駆けつけて消火を手伝い、鯨が浜に上がったと聞けば物見遊山気分で飛び出し、伝八郎に女性経験がないと知れば皆で吉原に繰り出し…
 と、やることなすこと豪快で享楽的。それもそのはず、その師匠が率先して飛び出す性格なのですから。

 本作は、そんな国芳と一門の姿を伝八郎の目から描くとともに、ある理由でひたすら仇討ちに己の半生を費やすことを強いられた彼が、人間性を取り戻していく姿を描いていくこととなります。

 本作の題名となっている「ひらひら」とは、伝八郎の目に映った、桜の花びらの姿。
 ただ無心にひらひらと散っていくその姿は、彼にとっては自由な生の象徴であり、そして彼が心の底で欲しつつも、最も縁遠いものとあきらめていた生の楽しさの象徴です。

 そして、絵に描いたような江戸っ子連の国芳一門が伝八郎に与え、伝えようとしたのは、その自由に生きること、生きることを楽しむこと――まさにそれであります。

 それは時として代償を要求するものであり――終盤にさらっと描かれていますが、国芳はかなりお上に目を付けられた過去を持つ人物であります――そしてもちろん、それだけで人は生きられるものではありません。
 しかしそれでも人はそれを求める。それこそが、人と獣を分かつ、人が人たる所以であり、そしてこの憂き世を生きる力となるものであるから…

 本作を読んでいて、大いに心動かされるのは、この国芳一門の、生を、生を楽しむことを全面的に肯定する――それも、それがごく当然のことであるように自然に――姿であります。
 それは、人として大切なものを奪われ続けていた伝八郎に対する最大の救いであるとともに、当時の人々、いや現代の我々に至るまで、憂き世に生きる者にとっても救いとなるのです。
 だからこそ、国芳の浮世絵は、当時も、そして今に至るまで、人に受け入れられるのでありましょう。


 人情と言うのは易しい。しかしそれが何であるか、描くのは難しい。
 本作はそれをひらひらと軽やかに描いてみせた快作であります。

 ちなみに、作者と古屋兎丸の対談によれば、作者はまだまだ国芳一門の姿を描きたいと考えているとのこと。
 確かに、一人一人が個性の固まりのような連中と、ここでお別れというのはいかにも寂しい。彼らが生を楽しむ姿を、そして彼らの楽しむ生の姿を、この先も是非見せていただきたいものです。

「ひらひら 国芳一門浮世譚」(岡田屋鉄蔵 太田出版) Amazon
ひらひら 国芳一門浮世譚

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