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2012.04.14

「傾国の策 お髷番承り候」 権力に対する第三の道

 紀州に帰国していた徳川頼宣が出府を願い出た。幕府に恨みを持つ頼宣の出府に、将軍家綱を守ってきた松平伊豆守らは不安を隠せない。果たして頼宣は大奥に根来の女たちを忍ばせるが――。一方、甲府綱豊と館林綱吉との間の争いも激化。三つ巴、四つ巴の争いに戸惑う家綱と深室賢治郎だが…

 四代将軍家綱の股肱の臣たるお髷番・深室賢治郎が、徳川家の血を引く者たちの間で繰り広げられる暗闘に挑む「お髷番承り候」も、気がつけばもう四巻目。
 家綱の次の将軍位を巡る争いはいよいよ激化し、しばらく表舞台から遠ざかっていた徳川頼宣が再び登場し、いよいよ混迷の度合いを深めていきます。

 そもそもこの「お髷番承り候」という物語は、頼宣が久方ぶりの帰国の際に「我らも源氏でございます」という言葉を遺したことから始まったもの。
 家康の血を引きながらも将軍位から遠ざけられ、慶安の変に連座した疑いから紀州に帰ることも許されなかった頼宣が、晩年に至り、将軍位を窺い始めたのであります。

 これに敏感に反応したのは、かつて頼宣を江戸に留め、そして同じく晩年に至った松平伊豆守。しかしかつての知恵伊豆も、今は病床で死を目前とするばかりになり、もはや家綱を守るは賢治郎のみ…と相成ります。

 ここに相変わらず(?)甲府と館林の両徳川家の間の暗闘も加わり、家綱と賢治郎の悩みも大きくなる一方なのですが――
 そんな展開の中で注目するべきは、権力に対して人が如何に振る舞うべきかという問題に対して、新たな解が示されることであります。

 上田作品のほとんどで描かれる、権力と個人の相克。多くの人々を狂わせ、迷わせていく権力の魔に対して、人はどのように相対するのか、するべきなのか?

 上田作品の主人公は、これまでほとんどの場合、権力とある程度距離を置き、自らの信念に従うという生き方を選択してきました。これと対照的なのが、敵役の多くが当てはまる権力の走狗となるという生き方であり、権力に接する人間は、そのどちらかに属してきた印象があります(「闕所物奉行 裏帳合」の主人公はこの中間ではありますが…)。

 しかし、本シリーズの主人公・賢治郎は、お役目こそお髷番と小身ながら、既に家綱と強い信頼関係で結ばれ、腹心と言ってもよい立場。既に権力から距離を置くことは不可能――それは家綱への裏切りに等しいのですから――なのです。
 だとすれば、彼は如何に生きるべきなのか? それに対する答えを、松平伊豆守が語ります。それは「寵臣」になることだと。

 「寵臣」という言葉には、主君の寵を後ろ盾に権力を振り回して…というネガティブなイメージがつきまといます。しかし、たとえ他者からそのように見えようとも、それが主君の、そして天下のためになるのであれば、それは権力の正しき使い方と言うべきなのかもしれません。
(もっとも、私心はないが人間的にはどうしようもない、という人物も上田作品には登場するのですが…)

 ノーブレス・オブリージという言葉があります。
 これは高貴な者は、それにふさわしい社会的責任と義務を果たすべき、という考え方ですが、望ましき寵臣というものは、それと同様のものを己に律した存在と言えるように感じます。

 自身をそのような寵臣として任じてきた伊豆守が、後事を託した賢治郎。果たして彼が、真の寵臣たり得るのか?
 ある意味、権力から距離を置く以上に厳しいであろう、彼の行く道がどこに辿り着くのか…いよいよこの先の展開が楽しみになって参りました。

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