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2012.06.25

「兇」 ただひたすらに激突する二人を

 山岡鉄舟が結成した内偵組として、京を訪れた旗本の次男坊・水上守弥。勤王浪士による天誅の現場に出くわした守弥は、そこで岡田以蔵と対決し、からくも生き延びる。それ以降も幾度となくぶつかる守弥と以蔵。以蔵の存在に心乱される守弥は、以蔵との運命に決着をつけんとするが――

 「蛇衆」「無頼無頼ッ!」と、ユニークな時代活劇を発表してきた矢野隆の第三作が、この「兇」であります。

 舞台は幕末の京――天誅が横行し、一種の無法地帯と化したこの地を訪れた青年剣士・水上守弥は、ある晩、獣じみた凶剣士に襲われ、わけもわからぬまま、刀を交えることとなります。
 その獣こそは、人斬り以蔵こと岡田以蔵…必死の剣を振るい、何とかその場を逃れた守弥は、その後、要人警護の任務の最中に再び以蔵の襲撃を受け、心身に傷を負うことに――
 旗本の次男坊として折り目正しく生きてきた守弥とは全く異なるはずでありながら、しかし彼を自分の同類と呼ぶ以蔵。果たして以蔵は自分の中に何を見ているのか。守弥は、激しい反発と恐れが入り交じった感情に翻弄されることになります。


 さて、先の二作品が比較的入り組んだ、あるいは次々と舞台・状況が変わっていく内容だったのに対し、本作の物語とキャラクター配置はかなりシンプルであります。

 ある程度のタイムスパンを持つ物語ではありますが、本筋はただ一つ、守弥と以蔵の対決。
 守弥の友人で同僚の甚九郎、彼の下宿先の娘でやがて互いに想い合う仲となるおゆい、そして様々な形で彼を導く存在となる土方歳三――脇を固めるキャラクターもかなり限定されます。

 主人公である守弥は、彼らに取り巻かれて悩み、成長する存在として描かれますが、彼が様々な意味でどこまでも純粋なキャラクターである一方で、以蔵はそれと一見全く異なる、獣として描かれているのが面白い。
 最近のフィクションで描かれる以蔵は、利用されて捨てられる可哀想な純粋君という扱いが少なくありませんでしたが、本作においては、自分以外の誰も信じず、本能のみで生きる存在として描かれることになります。
(以蔵が勝海舟の用心棒を勤めたというエピソードが、本作では、金次第で主義主張なく動く定見ない存在としての以蔵を象徴するものとして描かれているのも面白いのです)

 しかし本作の最大の特徴は、大部分を占める二人の激突を、主に守弥の視点から、ひたすら丹念に描写していくことでしょう。
 以蔵はもちろん、守弥も、死闘の中では習い憶えた剣技のみでなく、蹴る、掴む、頭突きを食らわすと、実に泥臭い戦いを繰り広げるのですが、それがまた本作の二人にはよく似合います。
(個人的には剣戟の最中に蹴りを多用するのはいかがなものかと思わなくもありませんが…)

 ちなみに本作では、守弥が絶体絶命の窮地に陥ったときに視界が赤く染まり、自分以外の全ての動きが遅く感じられるというモード(?)の存在が描かれます。漫画などでは限界突破や覚醒といった言葉で表現される、ある意味お馴染みの境地ですが、本作ではそれを文章で真っ正直に、(主人公視点から)描くというのは、空前ではないにせよ、実に面白い試みではあります。


 このように本作は、シンプルな枠組みの中で、シンプルなストーリーをひたすら描くという、ある意味複雑な物語を描くよりも遙かに難しいことにチャレンジしており、それについては大いに評価できますし、作者の進歩と言って良いでしょう。

 しかし、その一方で、主人公をはじめとする登場人物が、(内面描写も含めて)あまりに饒舌であるのには、違和感を感じます。
 確かに言葉に出さなければ伝わらないものもあるでしょう。しかし、主人公の内面の変化を、全て言葉にして説明してしまうのは、これは好みもあるとは思いますが、首を傾げざるを得ません。

 漫画的なアクション描写を文章で再現するだけでなく、言葉なくして登場人物の心境を示すキャラクター描写もチャレンジして欲しかった…そう感じるのは、意地が悪いでしょうか。

「兇」(矢野隆 徳間書店) Amazon
兇

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