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2012.08.05

「いだ天百里」 自由の民が見た最後の戦国

 地を撫でるように山中を移動することから「撫衆(なでし)」と呼ばれる山の民。主家が滅んで撫衆に身を投じた半ベエとその恋人のお狩ら撫衆たちは、山から山へ自由な暮らしを送っていた。しかし時あたかも徳川家と豊臣家の対立が激化する慶長年間、撫衆たちもその渦中に巻き込まれることに――

 先日、山田風太郎の少年小説「地雷火童子」を紹介いたしましたが、そのリライト元(が収録されているの)が本作「いだ天百里」です。

 撫衆(なでし)と呼ばれる山の民の一員である半ベエとお狩のカップルの活躍を描く本作は、以下の五つのエピソードからなる連作集であります。
 大久保長安の愛妾による残酷な人間狩りに対する撫衆たちの復讐を描く「死の谷の巻」
 淀君を呪詛する狂信的な山伏たちと撫衆たちの対決編「狂天狗の巻」
 徳川家と豊臣家の開戦を前に、撫衆を自陣に引き込もうとする隠密同士の暗闘を描く「六連銭の巻」
 江戸で地雷火を爆発させんとする幸村一党とそれを阻まんとする徳川の隠密、さらに奇怪な山伏の暗闘に巻き込まれた半ベエたちの死闘旅「地雷火の巻」(地雷火童子の原作)
 仲間を殺し市中で悪事を繰り返す元撫衆の怪奇無惨な所業とその顛末「地獄蔵の巻」

 ほとんどの作品に歴史上の有名人が、それも意外な形で登場し、活躍する楽しさもさることながら、やはり本作で注目すべきは、主役として、撫衆という存在が設定されていることでしょう。

 山から山へ渡り歩き、猟や細工作りで暮らし、里の法やしきたりに縛られない自由の民・撫衆。
 その存在はいわゆる「サンカ」と同じものとして構想されているかと思いますが(彼らの武器としてウメガイが登場しますし、本作の旧題も「山刃夜叉」であります)、しかし本作の視点は、民俗学的なアプローチではなく、「武士たちとは異なるルールを持ち異なる世界に生きる人々」の代表として、撫衆を描いているやに感じられます。

 本作は、慶長年間という、まさに最後の戦国武士同士の戦いが行われようとするその時に、彼らとは異なる存在から歴史を眺めてみせる、という構図にあると言えるのではないかと感じます。

 もっとも、それはあくまでもそういう構図に見える、というレベルに留まっており、確かに撫衆と武士の接触・衝突が物語の発端であったり中心であったりするものの、それ以上に踏み込んだ視点はほとんど見られません。
(特にラストの「地獄蔵の巻」は、歴史上の人物も登場しない、エログロな猟奇色の強いエピソード)

 この辺りは掲載誌的にも作者のキャリア的にも色々な制限・限界があったのではないか…というのは、もちろん私の邪推であります。
 邪推ついでに言えば、後の作者であれば、巨大な歴史のうねりの中で、自由の民が衰退し、滅んでいく様が描かれたのではありますまいか?


 ちなみに本作において興味深いのは、撫衆と武士を対置させつつも、しかし直接撫衆に害を及ぼすのは、ほとんどの場合、元撫衆、撫衆の掟を捨てた者である点であります。
 本来であれば同じ立場にある者同士が傷つけ合い、殺し合うというのは、これは後の忍法帖に通じる構図であり――その意味では、なるほど、一面「忍法帖」の先駆と言っても良いのかもしれません。

「いだてん百里」(山田風太郎 徳間文庫「白波五人帖・いだてん百里 山田風太郎妖異小説コレクション」ほか所収) Amazon


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