亜智一郎最後のあいさつ
安政の大地震の際の活躍で将軍側衆の鈴木阿波守正團に見出された亜智一郎。三人の配下とともに江戸城の雲見櫓の上からひねもす雲を見るのは表の顔、裏の顔は将軍直属の隠密として、数々の難事件に挑む――はずなのだが、幕末の動乱をよそに、彼らの周囲にはなにやらおかしな事件ばかりが…
惜しまれつつも2009年に亡くなった泡坂妻夫の単行本未収録作を集めた最後の作品集が「泡坂妻夫引退公演」と題して先日刊行されました。
その中に、「亜智一郎」シリーズの未単行本化作品も収録されています。
長身で飄々とした性格、特技は足の速さと、なによりも頭の回転の速さ。そんな亜智一郎が、三人の配下――安政の地震の際に自ら左腕を斬り落とした(ということになっている)豪傑・緋熊重太郎、甲賀忍者の末裔で忍術の達人・藻湖猛蔵、ケンカっ早く怪力の江戸っ子・古山奈津之助とともに江戸城雲見番役として活躍する連作短編シリーズであります。
これまで、シリーズの作品7編が「亜智一郎の恐慌」のタイトルで単行本化されておりましたが、残る7編が、めでたく今回作者の「引退公演」の演目となった次第です。
(ちなみに本作は作者の「亜愛一郎」シリーズのスピンオフ、幕末を舞台にご先祖様たちを主人公としたシリーズではありますが、しかしそちらを知らなくても全く問題なく楽しめることは請け合います)
智一郎たち雲見番は、その名が示すとおり江戸城の雲見櫓から雲の様子を観察する、要するに閑職なのですが、しかしその実、彼らの裏の顔は将軍直属の隠密。
時は幕末、騒然とした世情を探り、将軍を、江戸城を狙う陰謀を未然に防ぐ――のが任務のはずですが、それに留まらず、様々な事件を解決してしまう(?)のが、何とも楽しいシリーズなのであります。
今回収録された残る7編は、「大奥の七不思議」「文銭の大蛇」「妖刀時代」「吉備津の釜」 「逆鉾の金兵衛」 「喧嘩飛脚」 「敷島の道」 。
本シリーズは、一作ごとに作中時間がほぼ一年経っていくスタイルとなっていますが、ラストの「敷島の道」 が慶応3年ですから、幕末も幕末。当然世情は騒然とし、幕府を取り巻く状況もどんどん悪くなっているのですが――
これはおそらくは意識してのものと考えますが、「恐慌」に収録された7編が、将軍や江戸城を巡る陰謀、薩摩の暗躍などを描いた、比較的にシリアスだった一方で、今回の7編は些か趣が異なります。
幕末の動乱は背景事情として確かに存在するものの、そこに直接智一郎たちが絡むことはなく、むしろ「日常の謎」的味わいの作品がほとんどなのです。
この点を残念に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、しかし私はこの趣向に、むしろ作者らしい着眼点を感じます。
なるほど、舞台となる時代は日本史上の一大転換期、数々の英傑が現れて、後の歴史を作り上げていった時代ではあります。しかし、それはあくまでも日本全体から考えればごくごく一部のお話。
維新だ何だと一部が声高に叫んだとしても、それ以外の世の中の大多数の人間は(騒然たる世情に振り回されつつも)それなりに自分の日常を、楽しく呑気に暮らしていたのであります。
(さすがに「大奥の七不思議」のオチを見ると、こりゃ幕府はアカンとは思いますが)
本作で描かれる世界は、まさにその空気を描いたもの。これもまた幕末(という言い方自体、そもそも後の時代の我々の勝手な表現なのですが)のリアルなのであり――そしてもちろん、それが作中で間接的に描かれる動乱・混沌の部分をある種逆説的に強調しているのであります。
決して声高に、直截に述べるのではなく、遊び心たっぷりにさらっと時代を描く。ミステリ味が薄味なのは少々残念ですが、しかし最後の最後まで、実に作者らしいシリーズであったと、引退公演を見終えて感じた次第であります。
亜智一郎シリーズ(泡坂妻夫 東京創元社「泡坂妻夫引退公演」所収) Amazon

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