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2012.12.30

「青蛙堂鬼談」(その四) 現代、過去、異国を結ぶ怪談

 四日間に渡って続けて参りました岡本綺堂の「青蛙堂鬼談」全十二篇紹介、今回で最終回であります。

「黄い紙」
 本書には、本書が執筆された時点における現代を描いた、いわば明治大正のモダンホラーとも言うべき作品もいくつか収録されていますが、コレラの大流行を背景とする本作も、その一つ。

 コレラが大流行する中、何故かコレラになろうとする女の姿を描く本作は、一種の奇談であり、怪談としては小粒に感じられます。
 何故女がコレラになろうとしていたのか、そしてなった後の顛末についてはなかなか面白く、この舞台設定ならでは…というものもありますが、やはり他の作品に比べるといささか見劣りがするというのが正直なところではあります。

 しかし、目に見えない病魔――そしてそれに込められた怨念の存在を、当時コレラ患者が発生した家に貼ったという黄色い紙を通して浮かび上がらせる手法は、なかなかに印象的ではあります。


「笛塚」
 最近の文庫本には珍しく、本書には口絵が付されているのですが、表紙と同じく山本タカトによるその口絵の題材となっているのは本作であります。

 笛好きの青年武士が、ある名月の晩に笛を吹きながらそぞろ歩くうちに出会った、名笛と思しき笛を奏でる乞食。その由来を尋ねた青年に、「拙者はこの笛に祟られているのでござる」という言葉とともに、乞食は己と笛にまつわる奇怪な物語を語り始めます。
 そして、その笛に強く魅せられた青年は…

 手にした者の運命を次々と狂わせるアイテム、という趣向自体は珍しいものではありません。しかし本作においては、それが笛であることで、奇怪ながらもどこか雅やかな空気を漂わせている(先に述べた山本タカトの口絵は、その空気を見事にとらえています)のが巧みな点でしょう。

 笛に込められた伝奇的な秘密の一端がドラマチックに明かされながらも、なおも謎が残る結末も見事であります。


「龍馬の池」
 十二番目、最後に収められた本作は、語り手が体験した物語、すなわち「現代」の物語であると同時に、遙か平安の昔の物語でもあります。

 写真道楽の語り手が訪れた先で聞かされた綺譚――龍が棲むという池を祀るため、平安時代にさる仏師が彫り上げた馬飼いの少年と神馬の像にまつわる奇怪な物語は、その池を訪れた語り手の前で、現代にオーバーラップして再び浮かび上がることになります。

 一つの物語の中で過去の怪異と現代の怪異が重なり合って一つの怪談として描かれるというのは、たとえば同じ綺堂の名品「西瓜」があります。
 本作はそれに近い構造を持っていますが、しかしさらにそこに中国における物語も絡んでくるのが面白いところであります。
 過去の日本の物語、現代の日本の物語、それを繋ぐ中国の物語――三つの角度から描かれる本作は、それ自体の構造の面白さもさることながら、この「青蛙堂鬼談」という怪談集全体の姿を浮かび上がらせている、というのは牽強付会に過ぎるでしょうか。


 以上十二篇、「青蛙堂鬼談」に収められた物語は、これまで紹介いたしましたとおり、クオリティの高さといいバラエティの豊かさといい、綺堂怪談の精華であると同時に、その入門編としても相応しい怪談揃いと今回読み直して感じた次第です。

 ちなみにこの中公文庫版は、これまで単行本未収録であった「梟娘の話」「小夜の中山夜啼石」の掌編を収録。さらに千葉俊二氏による解説も実に興味深く、先に述べた山本タカトの表紙絵・口絵も含め、既読の方も一度手に取って実物をご覧になることをおすすめいたします。


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