「宿神」第3巻 西行はただそこに宿り在るのみ
万物に宿り、万物を万物たらしめる影のような不思議な存在=宿神を見ることができる西行の目を通じて、平安時代末期を描く「宿神」の第3巻であります。
ついにこの巻では保元の乱が勃発、いよいよ武士の世が近づく様が描かれていきます。
待賢門院璋子への狂おしい想いのまま、その夫たる鳥羽上皇の御前で、十枚の襖絵に、十首の和歌を即興で書き記し、そのまま出家した佐藤義清、いや西行。
出家しても璋子への想い止まず、しかし彼女と死別することとなった西行。
この巻の冒頭でみちのくに旅立った彼は、その途上、平清盛の家人であり、不思議な術を操る男・申の妹であり、彼自身とも縁浅からぬ娘・鰍に会うため、那須を訪れることとなります。
かつて玉藻と名乗り、宮中に上がっていた鰍。しかしそこで璋子と美福門院得子との対立に巻き込まれ、得子呪詛事件の下手人に仕立て上げられた彼女は、密かに逃がされて那須で暮らしていたのですが…
玉藻と那須といえば、やはり思い浮かぶのは、金毛九尾の狐が変じたという殺生石。
玉藻は、伝説では九尾の狐が変じ、宮中を騒がした妖女の名ですが、本作の玉藻は、上で述べたとおり、宮中の権力争いに巻き込まれた不幸な娘に過ぎません。しかし――
鰍が玉藻となった時には、それが物語にどのような影響を与えるのか想像できませんでしたが、まさか、このような展開になるとは…いや、玉藻の名から予想するべきだったかもしれませんが、しかしそれを予想したくなかった、そんな展開であります。
そしてその後に、この巻の大部分を割いて描かれるのは、保元の乱の前史から乱の有様、そして乱が終結した後の、世の有様です。
言うまでもなく保元の乱は、崇徳上皇・藤原頼長・源為義側と、後白河天皇・信西・平清盛・源義朝側で争われた戦い。
しかしそれは単なる宮中の勢力争いに終わらず、摂関政治の終焉と武家政治の到来に繋がっていく、いわば時代の変革点とも言う意味を持つものであります。
この乱で重要な役割を果たした清盛は、西行の親友であり、本作のもう一人の主人公とすら言える人物。
その清盛や藤原頼長、信西、源為義に源為朝…この乱にかかわった様々な人物の姿を、本作は作者ならではの劇的かつ叙情的な文章で、浮き彫りにしていきます。
基本的にそれは、保元物語をはじめとする様々な物語のパッチワークではあるのですが、しかしそれが作者の筆を通じて描かれると滅法わかりやすく、そして面白い。
特に源為朝の描写は――そもそもの存在自体が夢枕ヒーロー的人物ではありますが――作者も彼を愛し、ノリにノって書いたことが伝わってくるものであり、実に魅力的な存在として印象に残ります。
さて、そのような大きな歴史の変革点において、西行は積極的に歴史の動きにかかわることなく、傍観者的立場を貫きます。
しかしそれは、彼が物語に埋没していることを意味するものではありません。むしろ全てが移ろいゆく時代において、彼は不変の、そして普遍の存在として在り続けるようにすら感じられるのです――そう、あたかも宿神のように。
思えば、この巻で描かれる二つの事件は、一つは歴史に名を残さぬ者の物語であり、もう一つは歴史に名を刻む者の物語でありました。
その意味で全く対照的な内容ではありますが、しかし共通するのは、人の――それも権力を求める者の――思惑によって、人の有り様が歪められ、利用されていく姿です。
そして有り様を歪められ、利用されるのは徒人だけではありません。帝ですら、その例外ではなく――いや、人だけではなく、神や仏までもが、この激しい歴史のうねりの中で人の思惑に変えられていくのです。
しかし、宿神はただそこに宿り在るのみ――何の影響を与えることもなく、それ故に影響を与えられることもありません。
そして西行もまた――
乱の後、他の者たちが関わり合いを恐れて崇徳院を避ける中、ただ一人、これまで同様に彼と接する西行。
その彼を指して清盛がいみじくも評したように、彼は「自然の風や水のようなもの」なのですから…
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