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2013.02.08

「ホック氏の異郷の冒険」 名探偵、明治の日本に現る

 陸奥宗光と親しい開業医・榎元信は、ある晩突然陸奥に呼び出される。陸奥が密かに進めていた英国との極秘交渉文書が奪われたというのだ。元信は、日本を訪れていた英国の探偵、S・H――サミュエル・ホック氏とともに探索に乗り出す。連続殺人、謎の暗号…錯綜する謎に挑むホック氏の推理は。

 「シャーロック」が地上波でも放送され、最近またシャーロック・ホームズ人気が高まっているように感じられるのは、時代伝奇だけでなくホームズものも好きな私にとっても嬉しい限り。
 さて、好きなもの同士を組み合わせて一緒に楽しみたいというのは自然な人情ではないかと思いますが、ホームズと時代(伝奇)ものを組み合わせた作品が実は存在します。それが本作「ホック氏の異郷の冒険」――あのホームズが明治の日本を訪れ、日英にまたがる大事件を解決していた、というユニークな作品であります。

 ホームズもののパスティーシュでは、ワトスンの未発表草稿が発見された、という形式が一種の定番ですが、本作もそれを踏襲した形式。本作は、ワトスン役を務める日本人医師・榎元信が残した手記を、その子孫が公開した、というスタイルを取っています。

 華族会館、かつての鹿鳴館から何者かに奪われたという極秘文書――宗光がかねてから進めている日英間の極秘交渉に関するというその文書、存在することすら秘さなくてはならないその文書の探索に白羽の矢を立てられたのが元信は、英国側の協力者として、一人の英国人と引き合わされます。
 長身痩躯の全身これ知性でできているような人物こそは、ちょうど日本に到着したばかりのサミュエル・ホック氏。英国高官ともつながりを持ち、そしてかつて幾多の怪事件を解決したというホック氏の存在は、宗光にとって渡りに船とも言うべきものだったのですが――

 と、言うまでもなく、このホック氏こそは、本文中で明示はされていないものの、明らかにかのシャーロック・ホームズその人。犯罪界のナポレオンと呼ばれる人物との死闘の末、スイスはライヘンバッハの滝から落ちて死んだと思われていたホームズは、死を装って世界各地を放浪していた…
 という「最後の事件」から「空き家の冒険」までの間の、いわゆる「大空白時代」については、ホームズ読者であればよくご存じかと思いますが、本作はその時期に、ホームズが日本を訪れていたという見事なifを描いているのです(ホームズと名乗らないのは、著作剣ゆえでしょうか)。

 本作では、そのホームズ=ホック氏の推理手法からコスチューム、口癖(まあ、この辺りは厳密には後世の創作のようなものですが、お約束)、さらには過去に扱った事件への言及まで、ホームズ読者であればニヤニヤさせられっぱなしの描写が続出いたします。

 さらに、そのホック氏の目を通じて描かれる明治時代の日本の姿というのがまた興味深い。政治や社会、文化風俗に至るまで、淡々としかし丹念に、ホック氏の目を通じて描かれるそれは、我々にとっても一つの異郷である明治時代の姿を、ありありと浮かび上がらせてくれるのです。


 しかし本作の真に優れた点は、単にホームズ+日本、という取り合わせの妙のみで驚かせるだけでなく、そこに日本を舞台としたホームズものでなければ成立しないトリックを構築してみせた点でしょう。

 その推理で、たちまち華族会館から文書を奪った実行犯を特定してみせたホック氏。しかし実行犯たちは東京の闇の中に姿を消し、そして彼らが何処かに隠したと思しき文書も行方不明のまま――
 そこにロシア大使館の間諜、民権派とは口ばかりの不良浪士たちが絡み、犯人と書類の激しい争奪戦が繰り広げられていくこととなります。そしてその中で謎の女による殺人事件が連続し、さらに書類の在処を示す、文字とも図ともつかぬ不思議な暗号が発見されるのですが――

 ミステリとしての本作の中核を成すのは、この殺人事件の犯人探しと、書類の在処の暗号解読の二つ。そしてそれこそが、さしものホック氏をも苦しめる巨大な謎なのであります。
 その詳細についてはもちろん伏せさせていただきますが、前者は、なるほど日本という国ならではのトリック。確かに日本を訪れたホック氏ではちと荷が重い…と思わされるものであり、日本を舞台とした時代ミステリならではの趣向と言えるでしょう。

 しかし後者は、これは時代と場所を超えて、なるほどホック氏では解けない、ホック氏だからこそ解けないトリック。
 実は暗号の謎自体はさまで難しいものではなく、私でも早々に気づけたものではあるのですが、しかしそれにホック氏が気づかないということに、明確かつ見事な理由があることに、ただただ唸らされました。

 時代ミステリとしての興趣だけでなく、ホームズという存在に、ある意味大胆かつ見事な挑戦状を叩きつけた本作は、日本推理作家協会賞を受賞したのもむべなるかな、と言うべきでしょう。


 ホームズもののパスティーシュとして、明治の日本を描いた時代ミステリとして(真犯人の正体にはただただ驚嘆! おそらくこの人物をこういう扱いで描いた作品はこれのみではありますまいか)、そしてその両者を兼ね備えた作品として、希有な本作。
 ホームズファンの方にこそ読んでいただきたい快作であります。


「ホック氏の異郷の冒険」(加納一朗 双葉文庫) Amazon
ホック氏の異郷の冒険―日本推理作家協会賞受賞作全集〈44〉 (双葉文庫)

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コメント

ライヘンバッハの滝でホームズの命を救った「バリツ」を教えた人物(確かにこの人は当時海外にいましたね)が出てくる所も楽しいこの作品、日本推理作家協会賞を取るのも頷けます。

作者の加納先生は小説家というよりオールドファンには学年誌や学習雑誌に掲載された推理クイズ本の作者としての方が有名ではないかと思います。

その加納先生の最高傑作であるこの作品、ホック氏が中国に渡り活躍する続編もありますので、興味のある方はご一読を。

投稿: ジャラル | 2013.02.08 12:25

ジャラル様:
私の場合、加納先生はソノラマのジュブナイルシリーズでしょうか…時代伝奇ものでも、非常にユニークな作品を書かれていますね。

そして何故かうちに続編の方が先にあったので(笑)これから読もうと思っています。

投稿: 三田主水 | 2013.02.18 00:51

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