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2013.03.05

「表御番医師診療禄 1 切開」 医師として、武士として、男として

 御家人から表御番医師となり、城内で診療に当たる矢切良衛。ある日、大老・堀田筑前守正俊が若年寄・稲葉石見守に斬殺されるという大事件が発生、正俊の受けた治療に疑念を抱いた良衛は、独自に調べを始める。その最中、何者かが送り込んだ刺客の襲撃を受けた良衛は、家伝の戦場剣法で迎え撃つが。

 ここ数年の快進撃を考えると少々意外ですが、今まで角川書店からの作品がなかった上田秀人。その記念すべき第1作が、本作「表御番医師診療禄 1 切開」であります。

 これまで、様々な主人公を通じて、将軍の座を巡る幕政の闇を描いてきた作者ですが、その趣向自体は、本作も同様。しかし、何と言っても、主人公像が実に面白い。
 本作の主人公たる矢切良衛は、タイトルにあるとおり、幕府の表御番医師――交代制で江戸城に常駐し、殿中で体調不良の人間が出た時に診療を行うというお役目です。
 元々は徳川家の御家人の中でも、戦場での金創の手当を行う家である矢切家に生まれた良衛は、家伝に磨きをかけるため、外道――本道(漢方系の内科医学)に対する蘭方系の外科医学――を修めたのですが、これに目をつけたのが典薬頭の今大路家。医学の名家として知られながらも形骸化が進む家門の影響下に新しい血を入れるため、半ば無理矢理妾腹の娘を嫁として押しつけられた良衛は、しかし義父の引きもあって、表御番医師になった…というのが基本設定であります。

 そんな良衛が挑むこととなるのが、堀田正俊の刺殺事件――とくれば、ほぅ、と思われる方も多いでしょう。
 時の大老である正俊が、若年寄の稲葉正休に江戸城内で刺殺され、しかも正休自身も、その直後に周囲にいた老中たちに滅多切りにされて死亡した――
 ある意味江戸時代最大のミステリであるこの事件は、昔から様々な作品で取り上げられており、作者自身、ごく初期の作品「功臣の末路」でこの謎を取り扱っています。

 本作はその最新の成果ですが、面白いのは、医師である良衛の目を通して、この事件の謎に迫る点でしょう。
 それも、良衛がこの事件に興味を持ったきっかけが面白いのです。上で述べた通り、江戸城内の緊急診療所とも言うべき表御番医師。しかし、大老が刺されたという大事に呼ばれたのは、彼らではなく寄合医師(奥医師の家柄の跡継ぎ)であった…

 何故、呼ばれなかったのが自分たちではなかったのか? それは一見小さな好奇心のようにしか見えないかもしれませんが、良衛にとっては少々異なります。
 医術の家に生まれ、外道の医術については、江戸で屈指の腕を持つと自負する良衛。しかし江戸城内の医師の世界では、重んじられるのは腕前ではなく家柄。いや、彼とて、一種権門である今大路家の縁を得たことで表御番医師になったのですから、彼の心中はなかなかに複雑であります。

 そしてそんな彼にとって、この緊急時に呼ばれたのが家柄で選ばれる寄合医師であるというのは重大事。しかしそれ故に、彼はこの事件の背後にわだかまる闇に近づいてしまうことになるのですが――

 そして面白いのは、良衛が単なる医師ではない点であります。
 先に述べたとおり、矢切家が戦場での金創治療に当たっていた家柄(そもそも「矢切」の姓もそれに由来という設定)ということは、先祖は戦場往来の武者であったということ。そう、そんな矢切家には、戦場での経験と医学知識をミックスした超実戦剣術が!
 おお、なるほど! と思わず納得(?)の設定ですが、実際の剣戟シーンも、人体の急所を的確に狙う良衛の戦法が実にユニークかつリアルで、他のヒーローとの差別化も十分であります。


 残念ながら、この第1巻ではまだまだ物語は始まったばかり。事件の背後に何が潜むのか、良衛の運命に何が待ち受けるのか、まだまだわからないことばかりであります。
 しかし脇役キャラも、城内での扱いに腐りながら実にしたたかな動きを見せる大目付・松平対馬守や、対馬守に強引に巻き込まれた若きエリート・柳沢吉保など、興味深い面子がならびます。
 さらに、良衛の側も、出世を目指せとことある毎に発破をかける妻(ある意味上司の娘)がいると思えば、かつて良衛が治療した武士の未亡人との間に微妙な空気が流れたりと、こちらもなかなかに面白い。

 医師として、武士として、男として――主人公の向かう先が大いに気になる新シリーズであります。


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切開  表御番医師診療禄1 (角川文庫)

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