「時迷宮 ヨコハマ居留地五十八番地」 横浜という世界の変遷に
横浜居留地で西洋骨董店「時韻堂」を営む深川芭介。彼にしばしば出所不明の品物の鑑定を依頼していたカンカン虫の貫太郎が、何者かに殺された。折しも、幕末の横浜で父がなくした家宝のロザリオを探すリュドヴィエール伯爵が来日。時を隔てた二つの事件は、芭介の前で意外な形で交錯する。
明治の横浜を舞台としたライトミステリにして一種の綺譚とも言うべき作品であります。
探偵役を務めるのは、横浜の外国人居留地で骨董品店を営む謎の男、深川芭介。見かけは外国人風の顔立ちの美形で、若く見えるけれどもどこか達観したような風貌、商売熱心というようにも見えないけれども、それなりに仕事もこなしている、なんともとらえどころのない人物なのです。
そして彼の相棒的立ち位置なのが、横浜税関職員の高澤輝之丞です。
現代では税関職員というとどうも窓口業務が真っ先に浮かんでしまいますが、しかしまだまだ外国との繋がりが限られていた明治のこの頃の税関職員は、ある種外交官的なエリート。彼自身も各国語に通じ、洋装の似合う美丈夫でありますが、しかし性格的には明るくざっくばらんな好漢であります。
そんな、境遇も仕事も全く異なる、しかし横浜で生きるという接点を持つ二人の青年が挑むことになるのは、貫太郎というカンカン虫(船の底にこびり付いた貝などをそぎ落とす労働者)の死。
これまで幾度となく芭介の店に現れ、出所の怪しい――要は盗品のように思われる――品物の鑑定を依頼していた貫太郎が、仕事場であるドックの足場から落ちて死んだのであります。
折しも、輝之丞が、積み荷が盗まれた事件の捜査をその荷主の貿易商から(警察相手ではなく何故か税関宛で)依頼されたことから、芭介はその事件と貫太郎の死の関係を疑い、調べ始めるのですが――事件は思わぬ方向に転がり始めます。
貫太郎が日頃口すさんでいたという謎の文句と、彼が親しくしていた物書きの男。幕末に横浜を訪れた父がなくした家宝のロザリオを探しに来たフランスの青年貴族。プランシェット(西洋降霊術)に現れた「ゆい」の二文字。おゆいという名のヒロインとロザリオが登場する新派の舞台。貿易商の自邸で目撃される幽霊。
これら一見全く関係ない数々の出来事が結びついた末に幕末の混乱の中に消えた一人の少女の想いが浮かび上がるのです。
そしてもう一つ、事件の中に浮かび上がるもの――それは、物語の舞台となる、横浜という土地の変遷であります。
開港前はごくごく平凡な田舎の村に過ぎなかったものが、突然に異国への窓口となり、さらにはこの国の中に生まれた、小さな異国のような世界へ…そしていま、我々が目にするそれと変わるまでに、横浜が辿ってきた変遷を、本作は文化風俗の変化のみならず、人の心の変化をも通じて、描き出すのです。
ちなみに、作中に登場する新派劇の題材となっている「豚屋火事」は、開港間もない関内を焼き尽くし、その後の横浜を形作る契機の一つともなったもの。この現実の事件と、作中の事件が結びついて一つの劇(物語)が生まれるというのは、なかなかに象徴的に感じられます。
このように主人公が挑む事件を通じて、横浜という世界の変遷と、その中で翻弄される人々の姿を浮き彫りにした本作ですが、不満点がないわけではありません。
一つには、この変遷を描くために、物語の本編(に当たると思われる部分)に入るまでが少々長く感じられること。
もう一つが――こちらの方が私にとってはより大きく感じられるのですが――事件を構成する様々の要素が、あまりに都合良く関連付いて展開していくことであります。
これは作中でも語られているように、一種の偶然の連鎖であり、そして物語の内容を考えれば、因果因縁とも言うべきものではあるのですが、それであれば、その面をより強調しても良かったのではないか、と感じるのです(もっとも、その辺りはプランシェットのくだりに現れているとも言えるのですが)。
とはいえ、これらの点を差し引いたとしても、なお舞台もキャラクターも魅力的に感じられる本作。シリーズ化されているとのことですので、続編も近々読んでみたいと考えているところです。
「時迷宮 ヨコハマ居留地五十八番地」(篠原美季 講談社X文庫ホワイトハート) Amazon

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