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2013.05.20

「螢草」 つつましくも美しき人の善

 早くに両親を亡くし、鏑木藩の上士・風早市之進の屋敷の女中となった菜々。市之進の妻・佐知に妹のように慈しまれ、二人の子にも慕われるようになる菜々だが、市之進が藩の不正に絡んで無実の罪を着せられてしまう。二人の子を守って懸命に生きる菜々は、市之進を救うため、一世一代の賭に出る…

 最近、いやいつも殺伐とした物語ばかり読んでおりますと、たまには暖かく、ホッとできる物語が読みたくなります。そんな時にぴったりだったのが、本作「螢草」であります。

 主人公となるの十六歳の少女・菜々。舞台となる鏑木藩の武士だった父は、ある事件がもとで腹を切り、あまり丈夫ではなかった母は病で亡くなった彼女が、風早家の女中となるところから、物語は始まります。
 当主・市之進は、将来は藩を背負って立つと期待された俊英ながらも、普段は優しく穏やかな人物。その妻・佐知も、慎ましやかに彼を支えながらも二人の子を慈しみ、そしておっちょこちょいな菜々にも優しく接する良妻賢母。絵に描いたような暖かい家庭で、菜々は幸せな日々を過ごすのですが――

 しかし改革派の中心であった市之進が、藩の汚職を告発せんとして罠にはまって捕らわれ、さらに佐知との別れを経験したことで、菜々の生活は大きな波瀾に見舞われることになります。


 実に本作の魅力の大部分は、この菜々のキャラクターによるところが大きいでしょう。
 決して幸せな育ちではないにもかかわらず、決して明るさと素直さを失わず、前向きに考えることを忘れない。知恵も回り、剣を学べばそれなり以上の腕を見せる――
 と書くとちょっと完璧すぎるように見えますが、ちょっとおっちょこちょいで天然が入った(人の名前を間違って覚えるのが作中でお約束)部分もある彼女は、まずもって愛すべき人物、という印象。そこにいるだけで場が明るくなるようなヒロインであります。

 しかしながら、本作で彼女が経験するのは、だけではありません。市之進と佐知を襲った運命から自らの父親にまつわる因縁まで、人間の悪意が凝ったような人の世の負の部分が、彼女の運命を襲うことになります。
 それでもなお、彼女が負けずに自分の道を貫くのは、彼女本人の明るさもさることながら、彼女の周囲に、人の世の明るい部分、人間の善意が存在したから――それもまた、彼女自身が引き寄せたものではありますが、人の善き部分の存在は、世の中にままならぬ部分があることも我々はよく知るが故に、より一層胸に響くのであります。


 厳しいことを言ってしまえば、登場人物のほとんど全員が善悪がはっきり分かれる点、基本的に菜々の行動は(それなりに苦労はするものの)皆うまくいく点など、本作は良くも悪くも「よくできたお話」という印象は否めません。
 その点においては、ある意味作者らしからぬ作品…というのは厳しすぎる評価かもしれませんが、それもまた本作を評価する言葉でありましょう。

 それでもなお、本作に描かれた、菜々をはじめとする善き人々の姿、人の世の善なる部分は、とかくままならぬことの多い世界において、一つの美しいものを見せてくれたという想いもまた、強くあるのです。

 螢草――露草のように、つつましくも美しく鮮やかな印象を残す作品であります。


「螢草」(葉室麟 双葉社) Amazon
螢草

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