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2013.05.28

「破天の剣」 さまよえる軍神・島津家久の青春

 薩摩の島津貴久には義久・義弘・歳久・家久の四人の息子がいた。その末弟・家久は、普段は何を考えているかわからぬうつけ者と呼ばれながらも、戦においては天賦の才を発揮する男だった。そんな家久を、時に暖かく、時に戸惑いながら兄たちは見守るのだが、彼の心の中には拭いがたい孤独が…

 青春歴史小説の名手として私が大いに注目している作家が、天野純希であります。先日は幕末を舞台とした「戊辰繚乱」を紹介いたしましたが、本作はその一つ前に発表された戦国もの――薩摩の島津四兄弟を、その末弟の家久の生涯を通じて描き出した作品です。

 いわゆる島津四兄弟とは、戦国後期の戦国大名・島津貴久の四人の子供たちのこと。
 「三州の総大将たるの材徳自ら備わる」義久、「雄武英略をもって他に傑出する」義弘、「始終の利害を察するの智計並びなき」歳久、「軍法戦術に妙を得た」家久――
 いずれも一廉の器量を備えた兄弟であり、その強固な結び付きで島津家の悲願である三州統一を果たした男たちです。

 …が、その中で家久個人に目を向けると、不明な部分も少なくない、というのが正直のところのようであります。
 私は日本史上の人物を調べる時に、まず「新潮日本人名辞典」に当たるのですが、こちらでは初代薩摩藩主であり琉球を占領した同姓同名の甥(忠恒)の方が記述の分量が多いほどで、兄三人に比べても…という印象があります。


 さて本作では、そんな家久を、その謎多き生涯を逆に利用して、なかなかにユニークな人物として描き出します。
 幼い頃から大器の片鱗を感じさせた兄たちと異なり、本作の家久は、呑気でマイペースでどこかぼんやりとした…周囲からは何を考えているかわからないと思われてしまうような人物。
 兄弟で唯一母が異なるためか、周囲からも軽んじられることの多かった家久ですが、戦いにおいては別人のように天賦の才を発揮し、常人の及びもつかぬ戦法で次々と勝利を収めていくこととなります。

 本作は、島津家の九州統一に向けた戦いの中でも特に大規模であり、そして島津家が大勝利を収めた二つの戦い――大友軍との高城川の戦い(耳川の戦い)、龍造寺軍との沖田畷の戦いを中心に描きますが、そこで活躍するのはもちろん家久。
 自分たちを遙かに上回る軍勢を相手に一歩も引かず、いや寡兵を用いて存分に敵軍を振り回す家久の姿は痛快の一言。そしてそれだけの戦果を収め、島津家にその人ありと言われるようになっても、彼自身のキャラクターは昔と変わらぬまま…というのも、戦いの血なまぐささを差し引いて、本作に一種の暖かみを添える印象であります。


 …が、このように本作の主人公、中心人物として描かれながらも、家久の心中の描写は意外なほど少ない、というよりほとんど描かれることがありません。
 本作の大部分で描かれるのは、兄たちや妻、子や部下から見た家久の姿。あくまでも他人から見た家久、外側から見た家久の姿なのであります。

 それはもちろん、本作の描写が不足しているのでも欠落しているのでもなく、意図的な構造であることは言うまでもありません。
 本作は若き日には「うつけ者」、長じてのちは「軍神」と、周囲の評価が180度といってよいほど変わった家久の内面に敢えて触れないことにより、彼の中の巨大な虚無を描き出します。

 終盤に至りようやく描かれる彼が隠し秘めてきた内面――そこにあるのは、己の出自に関する不安と孤独感であり、そしてそれと表裏一体の、兄たちの役に立ちたい、という切なる願い。
 彼の生は、そのほとんど全てをその想いを埋めるために費やされたのであり…そして本作はその哀しみを敢えて内側から描かないことにより――そして同時に彼の戦国武将としての痛快な活躍を描くことにより――一層痛切なものとして、我々の胸に響くのであります。


 冒頭に、作者を青春歴史小説の名手と述べました。その意味では、家久の生涯を描く本作は、一見異色作に感じられるかもしれません。
 しかし、己は何者なのか、己に何が出来るのか――誰もが青春時代に一度は経験する悩みを、晩年に至るまで抱え続けた家久は、その生涯を青春の迷いの中に置いていたと言えるのではありますまいか。

 その意味では本作もまた、作者一流の青春歴史小説であると私は感じるのです。


「破天の剣」(天野純希 角川春樹事務所) Amazon
破天の剣


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