「一休破軍行」 一休、憤怒と慈悲で混沌の時代を行く
南朝復興を狙う伊勢国司・北畠満雅は、伊勢裡宮の秘術により、次の帝・彦仁王の魂魄を抜き取った。彦仁王とその魂を宿した少年・虚丸を救うため、幕府と伊勢の全面戦争を防ぐため、伊勢に旅立つ一休。しかしその前には、暴徒と化した土一揆の人々と、<旧司等>の神々を崇める謎の敵が待ち受ける…
朝松健がかの一休宗純を主人公とした室町伝奇もの、「ぬばたま一休」シリーズには現在のところ長編が5つありますが、中でも私が最も好きなのが、この「一休破軍行」であります。
正長元年、当代の将軍と天皇が相次いで亡くなる一方で、小倉宮を奉じる北畠満雅が不穏な動きを見せていた頃――黒衣の宰相・三宝院満斎ら幕府上層部は、僧籍に入っていた青蓮院義円を六代将軍に推戴し、次いで伏見宮から彦仁王を迎えることとなります。
が、これを察知した北畠満雅は、<旧司等>(くしら)なる失われた神々を祀る伊勢裡宮の怪人・異連斎庭に命じて彦仁王の魂魄を体から引き抜き、孤児の少年・虚丸の体を器として、彦仁王の魂をそこに押し込めてしまうのでありました。
さらに満雅は伊勢裡宮の青年・加古四郎に命じて土一揆を煽動、これに対して幕府側は伊勢侵攻の軍を集結させ、まさに南北朝の動乱の再現が目前となった時――その時を舞台に、一休が幾度目かの苦難の旅に出ることになるのであります。
「ぬばたま一休」シリーズのうち、「一休○○行」と題される作品は、いずれも一休が幕府や朝廷から難題を背負わされて旅立つことになりますが、その中でも本作で一休が背負わされたものが最も重いと言えるのではないでしょうか。
何しろ、今回の彼の使命は、敵の妖術よりに奪われた次代の帝の魂を救出すること。しかし向かう伊勢は、完全に暴徒と化した一揆の民たちにより無政府状態となった地であります。
しかも、彼の背負うのは彦仁王の魂だけではありません。彼のミッションが失敗すれば、それを引き金に幕府軍の総攻撃が始まり、それはすなわち伊勢のみならず日本全体が戦に巻き込まれることを意味するのですから…
しかし、そんな中でも一休を突き動かすのは、この奇怪な陰謀劇に巻き込まれた二人の少年――すなわち彦仁王と虚丸を救わんとする強い意志であります。
本作の一休は後小松天皇の落胤という設定でありますが(それを活かして、民の苦しみを知らぬ彦仁王を「叔父として」叱りつけるシーンが楽しい)、しかし一休が戦うのはその出自ゆえではもちろんありません。
彼が戦うのは、権力の座を狙い他者を踏みつけにする者たちが張り巡らす陰謀に巻き込まれた弱き者を救うため。そしてそんな陰謀を企む連中を叩き潰すため――そんな、仏教者としての慈悲と憤怒の二面こそが、朝松一休の魅力でありましょう。
そしてそれが最大限発揮されるのが、終盤の展開であります。ついに北畠満雅のもとに潜入した一休らの眼前に復活する伊勢裡宮。
空中遙か高くにそびえ立つ神殿の上で加古四郎と対峙した一休が、乱を望み、人の命をもてあそぶ者に対して爆発させる怒りの凄まじさは、それまでに描かれたこの世の地獄の凄まじさと相まって、こちらの胸にダイレクトに響くのであります。
しかし私が何よりも本作を愛し、朝松一休の一休たる由縁が最もよく出ていると感じる理由はその先――旅を終えた一休が虚丸にかけた言葉、託した願いにあります。
これだけはぜひご自分で確かめていただきたいのでここに引用はいたしませんが、この言葉こそは一休が優れた、真の仏教者たる由縁であり…そしてその言葉は、虚丸のみならず、今を生きる我々にとっても、明日を生きる指針として強く強く刻みつけられるのであります。
本作の発表はちょうど10年前でありますが、しかし今回再読してみると、作品で描かれる中世の混沌は、その時以上に、我々の生きる今この時を重ね合わせたのではないかとすら感じられるものがあります。
そんな中、我々の前には一休はいません。しかし――それでも、一休の言葉を胸に刻んでいきたいと、私は思います。それこそが、人として今をより良く生きることに繋がるはずと、10年前と同様、今も信じるものであります。
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