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2013.10.03

「悲華水滸伝」第5巻 悲劇を描くための水滸伝

 杉本苑子版水滸伝たる「悲華水滸伝」の最終巻であります。前の巻から始まった方臘戦で既に幾人もの犠牲者を出した梁山泊でありますが、さらに犠牲者は増えるばかり。そしてその戦いのたどり着く先には…

 ようやく百八人揃ったのも束の間、皆が良民となることを望んだ宋江によって招安を受けた梁山泊の好漢たち。梁山泊を捨てた彼らは遼国との戦いに快勝したものの、江南を占拠した方臘との戦で、苦戦を強いられることとなります。
 これまで一人も欠けることなく一丸となって戦ってきた百八人が様々な形で欠け、ついには初の戦死者が…

 という展開は、こうして見れば原典読者であればお馴染みのものでありましょう。その通り、この第5巻の展開は、大筋では原典とは異ならないものの、細部ではその印象を大いに異とする――というより、その細部こそが、ある意味本作の真骨頂と申しましょうか。

 先に第3、4巻の感想で触れましたが、本作は百八星終結後、梁山泊が滅びるまでを全て描いた、我が国では希有の水滸伝であります。
 そしてその希有な点は、それを単に原典をなぞったものとして描くのではなく、原典以上に掘り下げて描く点にこそあります。何を? それは、好漢たちとの別れの悲しみを、であります。

 原典の後半部分を読んでいてどうにもやりきれないのは、それまで生き生きと活躍してきた好漢たちが戦の中で埋没していくこともさることながら、彼らの死が、幾つかの例外を除き、味気なくわずか数行で処理されてしまう点にあります。
 一騎打ちの末に強敵に敗れて討たれるのであればまだしも、乱戦の中で気がついたら死んでいた、伝染病にかかって十把一絡げに亡くなった、などというのは、それまでの彼らの活躍に胸躍らせてきた者にとっては、一種裏切りとすら感じられる展開ではありますまいか。

 その点を本作は、かなりの部分回避しているやに感じられます。もちろん、上で述べたような味気ない(?)死に方の好漢も少なくありませんが、原典とは異なる方臘軍の様々な攻撃の前に散っていく彼らの姿は、もちろん無念ではあるにせよ、以て瞑すべしと言うべきでありましょう(特に王英・扈三娘夫妻の死に様は、そのショッキングな方臘軍の攻撃方法も含めて印象的であります)。

 そしてそれ以上に強い印象を残すのは、亡くなった友を悼み、悲しむ残された好漢たちの姿であります。
 好漢が亡くなる度に、彼と縁のあった好漢が生前のエピソードを思い出して嘆くというのは、正直なところ繰り返されるのはちょっときびしいところではありますが、しかし本作で描かれる好漢たちの姿が颯爽としたものであるだけに一層、その悲しみも引き立つというのは間違いのないところではありましょう。

 あるいは、それだけの悲しみが続くのであれば、やはりその部分を書かない方がよいのではないか、あるいはその展開を改変してしまえばよいのではないか、という声もあるかもしれません。
 それは確かにその通りであるかもしれませんが、しかし本作においては、むしろその様々な悲しみの姿を描くことに主眼があったと言うべきではありますまいか。

 理想を胸に集った者たちが、その理想半ばにして散っていく…それはどの時代、どの場所においても、一種普遍的な悲劇であります。
 本作はそれを水滸伝という、やはり登場人物たちが悲劇の中に散っていく古典文学の世界で展開してみせた――しかも原典の構造、魅力は損なうことなく――作品であり、それこそが本作の真の特徴、真の魅力ではなかったかと、全5巻を再読して感じた次第です。


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