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2013.10.17

「明治・妖モダン」 文明の灯が消し去ったもの

 江戸から明治に変わって20年、煉瓦街が並び、アーク灯が照らす銀座の一角に、掘っ建て小屋のような派出所があった。そこに勤務する滝と原田は、次から次へと街で起こる騒動の解決に奔走するが、その陰には、とうに消えてしまったはずの妖たちの影が――文明開化の時代に見え隠れする妖たちは真か偽りか?

 畠中恵の新作は、明治の銀座を舞台とした妖怪もの、全5話からなる連作短編集であります。

 本作の主人公…というか中心人物となるのは、銀座の中心に立つ(けれども掘っ建て小屋同然の粗末極まりない)派出所に勤務する、滝と原田の警官コンビ。薄給ながら銀座の治安を守るため日々奔走する彼らの楽しみは、馴染みの牛鍋屋・百木屋で夕飯を食うことと、そこにたむろする友人たちと語らうこと――
 なのですが、派出所でも百木屋でも、二人は、そして仲間たちはおかしな事件に巻き込まれてばかり。しかもその事件、文明開化のご時世には時代遅れもはなはだしい妖たちが関わっているらしいのです。

 …という基本設定(と作者の名前)を見れば、ははあ、これは主人公たちと、しぶとく生き残っていた妖たちがにぎやかでユーモラスな騒動を繰り広げるのだな、と私は思ったのですが、その予想はかなりの部分で外れることになります。
 確かに、滝と原田をはじめとするレギュラー陣のやりとりは賑やかで楽しいのですが、物語全体のトーンはかなりドライでシビア。描かれる事件は人間の欲望にまつわる生々しいものがほとんどであり、人死にも少なくありません。

 そして何より、本作に登場する悪人たちは妖を畏れない――ばかりか、自分たちの欲望のために、妖を利用せんとすらするのであります(もちろん、そういう輩は後で大変な目に遭うのですが…その辺りの描写も普通に恐ろしい)

 しかし、本作においては、まさにこの点――妖への畏れや敬意を失った人間の姿を描くこと、ひいては、明治に至り人間と妖の関係性が変化したことこそを描こうとしていると気付きます。
 もちろん、江戸時代にも、妖を畏れず、利用しようとした輩はいたことでしょう。しかし、そんな人間たちにとっても、妖は「現実に」存在するものとして、自分たちの隣人として感じられていたのではありますまいか。

 しかし本作で描かれる人間たちは、基本的に妖の存在を信じません。妖という存在のことを口にすることはあっても、あくまでもそれは表象的なものであり、時には娯楽の種として、消費していくものなのであります。
 もちろんそれこそが近代理性の賜物、と言えばその通りでありましょう。しかし、本当にそれだけで良いのかと、本作に描かれる物語は問いかけてくるように感じます。

 自分たちの隣人である妖を畏れず、敬意を払うことなく消費する態度。それはやがて、人間自身すらもそのように扱うようになるのではないか…と。
(そして明治の「やがて」は平成の「いま」なのですが)


 文明の灯が消し去ったのは、夜の闇とその中の住人たちだけだったのか。本当に消し去られたものは、そんな住人たちの存在を感じ、畏れる、人の心の中の謙虚で敬虔な部分だったのではないか――

 と、そんな少々物悲しいことを考えさせておいて、ラストエピソードで時が経ても決して変わらない人の心を描くあたりがまた心憎い本作。
 いつもの明るく楽しい畠山作品を期待すると戸惑うことになるかもしれませんが、しかしなかなかに魅力的な作品なのであります。


「明治・妖モダン」(畠中恵 朝日新聞出版) Amazon
明治・妖モダン

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