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2013.11.13

「真・餓狼伝」第3巻 明治の武術に人が求めるもの

 明治中期を舞台に、ひたすらに強さを求める男たちの激突を描く「真・餓狼伝」、一時期連載中断しておりましたが最近復活し、ここに単行本も第3巻が発売されました。この巻の前半では、物語の冒頭から描かれてきた丹波文吉と前田光世の死闘もついに決着。後半では新たなる強敵が出現することになります。

 隆盛著しい講道館柔道に対し闇討ちを繰り返してきた丹水流の丹波文吉。迎え撃つべく満を持して出陣した前田光世と全く互角の死闘を展開してきた文吉は、ついに奥義の一撃を放ち、前田を倒したかに見えたのですが…
 最後の力を振り絞って文吉を投げ、固めた前田。完璧に決まった技から抜け出すために文吉に残された手段は――

 寝技を得意とする相手に固められた主人公が、いかにこの窮地を脱するか、というのは、ある意味格闘技ものの定番展開ではあります。
 単純な力では抜け出すことができない(や、抜け出す人間もたまにいますが)技からいかにして抜け出すかというのは、そのキャラクターの技やテクニック、果ては戦いのスタイルまでを表現する手段とすら言えますが、さて道場での試合ではなく路上での死合で、いかに文吉は抗するのか、と思いきや…

 ここで描かれたのは、表面的に見れば、極めてプリミティブな、それだけに極めて有効な手段を巡る攻防です。
 しかしその水面下で展開していたものは、文吉という武術家が、戦いの先に何を求めるのか、何を目指すのかという、大げさに言えば思想の問題でありました。

 そしてその結果は、「餓狼伝」の名を冠する作品としては、一見、いささか意外なものと感じられるかもしれません。しかし、本作においては――明治という、武術の有り様自体が変容していく時代においては――これでよいのだ、と私は感じます。
 殺し合いの技術をぶつけ合うのではなく、その先へ…それは奇麗事に見えるかもしれませんが、この「真・餓狼伝」という作品がこの時代を舞台に描かれる意味が、ここにあったというのは考えすぎでしょうか。

 そしてこの文吉の決断の陰に、あの武術家らしくない武術バカというべき、愛すべき父親の姿があるのがまた微笑ましい。
 文吉が講道館を狙う因縁という点も含めて、やはりこの父子の関係が、明治の武術というものの一種の象徴の意味も含めて、本作を動かしていくのでありましょう。


 そして後半では、舞台を過去に移して、文吉とは同門でありつつも、剣の技に固執する黒岡京太郎が登場。
 侍の技としての剣に文字通り命がけのこだわりを見せる彼は、明治にあっても時代錯誤以外のなにものでもないのですが、しかしそれだけに、これまで描かれてきたのとはまた別の意味で、明治の武術のあり方というものを感じさせます。
(しかし、彼と警視総監が室内で真剣で斬り合うシーンは、何度見ても妙なおかしさがあるのですが…)

 端から見ると剣呑極まりない京太郎ですが、おそらく、いや間違いなく彼と文吉は激突することでしょう。
 気になるのは、「現在」の彼にはあって過去の彼にはない頬の傷ですが――

 いずれにせよ、両者の対決からは、再び明治における武術のあり方と、武術に人が求めるものの姿が浮き彫りになるはずだと、今から期待しているところです。


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