「百万のマルコ」 百万長者が教えてくれた自由の翼
長い間捕らえられている囚人たちが退屈に苦しむジェノヴァの牢獄。そこにやってきたのは、おそろしくボロボロの衣をまとったマルコ・ポーロという新入りだった。囚人たちの望むまま、次々と不思議な物語を語るマルコだが、彼の物語はいつも肝心なところが不可解なままで……
マルコ・ポーロといえば、言うまでもなく「東方見聞録」で後世にその名を残した商人にして冒険家であります。はるばるヴェネツィアからアジアに向かい、かのフビライ・ハーンに仕え、黄金の国「ジパング」の伝承を残した彼の名を知らないという方はほとんどいないでしょう。
本作はそんな「百万長者(イル・ミリオーネ)」マルコに、新たな命を吹き込んだ快作。しかしその命というのが、全くもって一筋縄ではいかないのであります。
物語の始まりはジェノヴァの牢獄。当時戦争の捕虜が入れられていたその牢から出るには、捕虜交換によるか、多額の金を積むしかなかったのですが――ということは、牢に残されるのは身分も金もない中途半端な面子。
出獄のあてもなくただ狭い空間で来る日も来る日も過ごし、退屈で死にそうな連中の前に、ある日新入りとして現れたのがマルコなのですが――この人物、襤褸と見まごうような恐ろしく汚い身なりで、牢に入れられても恐れたり悲しんだりすることもなく、常に飄々とした態度を崩さない一種の怪人物。そんな彼が、他の囚人たちのために、かつて自分がフビライの下で経験した数々の冒険譚を語る――というのが本作の基本スタイルとなります。
が、こうして彼の口から語られる13の物語というのが、また一筋縄ではいきません。
この物語、どこからどこまでが本当かわからない(というよりどう考えてもホラ話にしか聞こえない)のですが、不可思議な風習・風物を持つ国に派遣されたマルコが、そこで絶体絶命の窮地に陥って――と思いきや、次の瞬間にはそれを見事に切り抜けたとあっさり語り、「神に感謝。アーメン、アーメン」と決まり文句で終わってしまうのですから。
もちろんそれを聞いている囚人たちがそれで収まるわけがありません。その後にあれやこれやとその省略された部分を推理するのですが、しかし結局皆外れて、最後にマルコがあっと驚く種明かしをするというのが、毎回の流れとなります。
何しろこのマルコの人を食ったような物語の数々が、「東方見聞録」というよりは「ほら吹き男爵の冒険」や「ガリバー旅行記」、あるいは特に聞き手の無聊を慰めるという点において「千夜一夜物語」を想わせる内容なのが実に楽しいところ。
が、さらに楽しいのは、それぞれの物語が、一種ハウダニットのミステリとして読める点でしょう。いかにしてマルコがその窮地を乗り越えたのか――その手段は毎回実にフェアかつロジカルに(まあ、例外っぽいものもありますが)種明かしされるのです。
(マルコの決まり文句が、一種読者への挑戦状として機能しているのもイイ)
しかし、本作の真に愛すべきは、ユニークな物語と謎解きを通じて、想像力の素晴らしさを高らかに謳い上げている点だと感じます。
先に述べた通り、本作の物語は基本的に、牢の中で退屈しきっている囚人たちに対して語られます。そしてたった一時ではあっても、その物語を聞き、そして謎解きに夢中になっている間、彼らの心は牢を飛び出し、遙かな世界の中で遊ぶことができるのです。
たとえ体は縛られても、心までは縛られない。想像力という翼を羽ばたかせれば、どこまでだって行くことができる……
自由を奪われ(殺されないまでも)退屈に苦しむ中途半端な身分の囚人たちが、現代に生きる我々の象徴である――などというのは格好良いことを言いすぎかもしれませんが、百万のマルコの物語が、囚人だけでなく我々の心にも自由な翼を与えてくれるのは、間違いありません。
良質のミステリであると同時に、物語の素晴らしさを、その力を教えてくれる名品であります。
(ちなみに本作、妙なところで史実通りなのですが――それがどの辺りかは、結末まで読んでのお楽しみであります)
「百万のマルコ」(柳広司 創元推理文庫) Amazon

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