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2013.12.23

「書楼弔堂 破暁」(その二) 新しい時代の前に惑う者たちに

 京極夏彦の新作「書楼弔堂 破暁」の紹介の続きであります。作者のファンにとって、何よりのサプライズ、それは――

 それは、は、最終話に登場するのが、あの百鬼夜行シリーズに登場するあの神社の宮司であり、おそらくは「彼」(奇しくも弔堂と同じ商売の)の祖父であることであります。
 さらにこの宮司の父は、「巷説百物語」のドラマ化である「怪」のオリジナルエピソードに登場した人物で――まさかここから持ってくるか!? と驚かされた次第です。

 さらにこの神社に遺された蔵書の元々の持ち主が…とくれば、もう完全に作者の二大シリーズのミッシングリンクを繋ぐものとして、ファンであれば垂涎の作品としかいいようがありません。


 が――それはあくまでも一種の読者サービス。本作の真の優れた点、私が大いに惹きつけられた点は、本作が先に述べた構成(パターン)による一種の謎解き物語であるのと同時に、それを通じて明治という時代を、そしてそれに向き合う近代人の心理を描いている点であります。

 実は本作で弔堂を訪れる客には、一つの共通点があります。それは、明治という新しい時代に生きながらも、江戸という古き時代の残滓を抱えている点であります。

 本作の舞台となるのは、明治が始まって20数年が過ぎた頃、既に幕末の動乱を――もちろんその前の江戸も――直接に知らない、覚えていない世代も生まれている時期です。
 しかしそんな時期であっても、いや、そんな時期だからこそ、人は古き時代を背負って生きることとなります。そしてそれは、明治維新というパラダイムシフトにより、江戸という時代が古きものという烙印を――本作の前半のエピソードに毎回語られる「幽霊」の語は、まさにその象徴でありましょう――押されてしまったが故に、彼らを苦しめることとなるのです。

 本作で弔堂を訪れる客はそんな時代の谷間――近代と近世の間に落ち込んで戸惑う者たち。そしてそれは、端から見れば気楽なモラトリアムを暮らす語り手も――彼の場合は逆に新しい時代に対面する自己を持たないという点で――同様であります。

 そんな彼らに対し、「一冊の本を選ぶ」という行為は、言うなれば書物という揺るがぬ過去を突きつけることで、それを足がかりにして自己を再確認させるという、一種のカウンセリングと言えるのではありますまいか。

 一口に「近代」といっても、その姿は見る者によって変わるものでありましょう。そしてそれが人生に与える影響もまた。
 そうであれば、それに対して必要となる過去もまた、一人一人異なることになります。本作におけるその人だけの一冊があるというのは、そのような意味でありましょう。

 そしてそれを知ることは、既に近代が過去となってしまったと考えている、現代に生きる我々にとってもまた、決して意味のないことではありますまい。


 ユニークな設定の時代ミステリ、エンターテイメントでありつつも(そして作者の作品と作品を繋ぐ環でありつつも)、その中で近代という時代とそこに生きる人々の内面を浮き彫りにしてみせる――
 これほど魅力的な物語を、わずか一冊で終わらせるのは惜しすぎるというもの。時代の狭間に悩む者はまだまだ存在するのであり、明治バベルの図書館とも言うべき弔堂に眠る本もまだまだ尽きないはずなのですから。


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書楼弔堂 破暁


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