「千里伝 武神の賽」 人間の弱さと本当の強さと
武宮の代表者が集い強さを競う武宮大賽。大賽を前に麻姑から弓作りを命じられた千里は、材料集めに向かった先で奇怪な力を持つ敵と出会う。一方、千里とバソンの強さに憧れと嫉妬を抱く絶海は、謎の老人に師事した末に恐るべき強さを得るのだが…大賽でまみえた三人を恐るべき運命が襲う。
文庫版が出てからもだいぶ間が開いてしまいましたが、「千里伝」シリーズの第三弾「武神の賽」であります。
天地の形を定めた五嶽真形図の力を発揮する器として生まれた千里、絶海、バソンの運命を描く本シリーズも、全体の3/4ということで、起承転結のまさに転に当たる本作では、とてつもない運命の変転が彼らを襲うことになります。
五年に一度、全土の武宮(仙人が開いた武術道場・流派のようなもの)の代表者が一堂に集い、その強さを競うという武宮大賽。
これまで二度の天地と時空を股にかけた冒険をくぐり抜け、いまは武宮の一つ・丹霞洞麻姑山で修行に励む千里は、この大賽に向けて、師たる麻姑から、弓作りのための材料として、崖州の額井峰の黄櫨と吐蕃の納木湖の嶺羊王の角という、二つの材料集めを命じられることに。
一方、同じ器として生まれながらも、あまりに自分と次元の違う千里とバソンの強さに焦りを隠せない絶海は、一人山を離れて修行に出た先で、密かに想いを寄せていた共工の娘・蔑収と出会い、さらに彼女とともに謎の老人・甘蝉に弟子入りすることになるのですが…
と、この二人のエピソードが並行して語られ(バソンも途中で千里の側に加わり)、クライマックスの武宮大賽で合流する本作は、異界からの侵略者との戦いや超絶の力を秘めたアイテムの争奪戦を描いた前二作に比べれば、一見静かな物語に見えるかもしれません。
…が、その印象を大きく吹き飛ばしてくれるのが、絶海のいわゆる闇堕ち。
これまでの作品の中でも、千里やバソンに一歩遅れ、それに悩みを隠せなかった――しかしそれを抑えてしまう良い子だった――絶海がついに爆発、次から次へと人としての道を外していくのであります。
真面目な人ほど道をみ外すと怖いと申しますが、絶海の場合はまさにそれ。いや、怖いというよりむしろ彼の言動は色々な意味で痛い。痛いのですが――
この「千里伝」という作品は、希有壮大な中華ファンタジーという格好を取りつつも、しかしキャラクター描写については、決して格好いい、あるいは好感が持てるといった、ポジティブなものばかりではありませんでした。
その最たるものが主人公たる千里で、本作ではだいぶ真っ当な主人公となったものの、彼の傲慢さや卑怯さは、大いに読者のヒートを買ったものと思われます。
しかしそれでも千里のことが――そして本作の絶海のことも――嫌いになれないのは、彼が作品の中で成長を遂げていく存在であるのはもちろん、何よりも、彼らもまた、我々と大きく異なることのない「人間」であるからにほかなりますまい。
確かに本作は神仙が乱れ飛び、時空を揺るがすほどの事件が幾度も描かれるという、いわゆる中華ファンタジーものの中でも有数のスケールを誇る作品であります。
しかしそんな世界に生き、事件に立ち向かうのはあくまでも弱さを抱え、時にそれに溺れ、そして最後にはそれに打ち克つ人間なのであり…そしてそんな人間だからこそ、力では自分たちに遙かに勝る神仙や異界の者の思いも寄らぬことを成し遂げることができるのでしょう。
もちろんそれは単に力で相手を押し拉ぎ、否定することではありません。本作においては、千里の友にしてライバルであり、絶海とは対極の形で人間の本当の強さを見せてくれる文魁之と鄭紀昌の存在がそれを示してくれるのであり――そしていずれは絶海もその強さを知るはず、なのですが…
それにしても本作の結末で描かれるカタストロフィは、そんな楽観的な想いを完膚なきまでに打ち壊してくれるもの。
この未曾有の危機を前に、千里は、バソンは、絶海はどうするのか――やはり一度手に取ってしまったら、続きが気になって仕方のない本シリーズ、近日中に最終巻も取り上げましょう。
「千里伝 武神の賽」(仁木英之 講談社文庫) Amazon

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