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2014.03.25

「高丘親王航海記」 融通無碍で美しい奇想の世界へ

 幼い頃から心の中に強く印象に残ってきた天竺に向かうため、唐の広州から船出した高丘親王。三人のお供と旅を続ける親王の前には、次々と不可思議な人や獣たちが現れる。夢とも現ともつかぬ冒険の末、いよいよ天竺に近づいた親王だが…

 かの澁澤龍彦の遺作であり、宇月原晴明の「安徳天皇漂海記」のモチーフともなった作品であります。

 主人公たる高丘親王は、その名の通り平城天皇の第三皇子でありながらも、父の愛人・藤原薬子にまつわる政変に巻き込まれる形で皇太子を廃された人物であります。
 その後は出家して高野山に登り、空海の弟子として修行を積み、高弟の一人と目されるまでになったのですが…面白い(と言ってよいのかどうか)のは、その後、60歳を過ぎて海を渡り、仏典を学ぶために唐に渡ったこと。
 そして唐では望むものが得られず、天竺に行くことを志して海路天竺に向かい――そして消息を絶ったと言われています。

 本作はそんな親王を主人公に据えた冒険記なのですが――東南アジアを行く親王の前に現れるのは、何とも不可思議な動物や人物、風習の数々。
 喋る儒艮や犬頭の人間は序の口、下半身が鳥の女たちばかりの後宮や、砂原に眠り人に美女の幻を見せる蜜人、ラフレシアの上でミイラとなる女たち…

 あたかもプリニウスの「博物誌」や中国の「山海経」といった怪奇幻想博物学(という言葉は今作りましたが)の世界に迷い込んだような物語なのでありますが、その語り口はどこか飄々として、むしろすっとぼけたような味わいがあるのが何とも楽しい。
 どこまでが真実で、どこからがホラなのか。どこまでが現実で、どこからが夢想なのか。
 融通無碍とも言いたくなるようなその自由さは、まぎれもない実在の人物でありながらも、どこか虚構の人物めいた逸話がつきまとう親王にふさわしいというべきか、親王ならではというべきか…こちらとしてはただ煙に巻かれて、しかし笑顔で彼の冒険を見届けるしかないのであります。


 しかしそんな物語も、後半に進むにつれて死の影が色濃いものとなっていきます。それはやはり、冒頭に述べたように、作者の最晩年の作品であったことと無縁ではありますまい。
 その意味では、高丘親王は作者の分身であると見るのが正しいのでありましょう。特に終盤で描かれる、親王が美しい真珠を飲み込んで声が出なくなるくだりは、そのまま作者が晩年咽頭癌で声を失ったのを、真珠を飲み込んだためと称していたエピソードと重なります。

 そう考えれば、親王の飄々とした存在感も色々と頷けるものがあるのですが――
 しかし同時に、そのような「正しい」解釈をすることが、ためらわれる想いも同時にあります。


 これほど自由で融通無碍で、そして何よりも美しい物語世界を、作者個人の物語、という枠に納めてしまってよいものかどうか。むしろそのような枠にこだわらず、どこまでも広がっていく奇想を素直に楽しむことこそが、作者の、そして親王の望むところなのではないか…
 もちろんそれこそ、こちらの勝手な思い入れではあるのですが、私は本作にそんな形で接したい、という気持ちも強くあるのです。


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高丘親王航海記 (文春文庫)


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