「夢源氏剣祭文」第1巻・第2巻 天地の鬼と人の鬼と
小池一夫の「夢源氏剣祭文」が、皇なつきの画で甦った漫画版の単行本が、2冊同時に発売されました。原作は、藤原秀郷の娘・茨木が、数奇な運命の中で平安時代の様々な人物と出会い、別れる姿を描いた作品ですが、この漫画版は華麗な画で、原作の物語性はそのまま世界を描き出した名品であります。
元々は小池書院の「コミックJIN」に連載されていたものが、同誌休刊の後、角川書店の「サムライエース」に再連載された本作。そのため単行本化は二度目なのですが、今回は小池書院版よりもさらに先までが収録されております。
(しかし小池書院版の単行本の発売が7年前だったのには少々驚きました…)
父・藤原秀郷を訪ねての旅の途中に母を亡くした上、黒蔵主という鬼に襲われ、鬼の毒を受けた少女・茨木。さらに天から落ちた妖星の力を宿し、千年の魔鬼と化す定めを背負った彼女は、年を取ることもないまま生き続け、様々な人々と出会うこととなります。
その人々とは、坂田金時、袴垂保輔、藤原純友、平将門、藤原秀郷、安倍晴明…と、この第2巻まででもほとんどオールスターキャストというべき顔ぶれ。
皆、少しずつ活躍してきた時代がずれている人々なのですが、茨木を不老とすることで、その辺りを解決するというアイディアも面白く、彼らの姿を巧みに画にしてみせた皇なつきの筆も相まって、伝奇ものとして実に魅力的な作品であることは、原作同様であります。
しかしそれに加えて胸を打つのは、少女茨木の薄倖さと――それに重ね合わせて描かれる、「鬼」とされた人々の姿、それを生み出す世界への眼差しです。
本作における鬼とは、いわゆる角の生えた、妖力を持った人ならざる存在に留まりません。本作では――そしてあるいは実際の歴史上でも――時の権力から理不尽に疎まれ、追われ、差別された者たちをも、本作は「鬼」と呼ぶのです。
すなわち本作においてそれぞれの事情から権力と対峙し、逆らった保輔も純友も、皆「鬼」――言ってみれば本作は、天地が生んだ鬼である茨木が、人が生んだ鬼たちと出会い、関わり合う姿を描いた物語なのです。
そんな物語を貫く感情があるとすれば、それはまず哀しみであり、そんな登場人物の姿を表する言葉があるとすれば、それはまず儚さでありましょう。
そしてそれを描き出すに、作画者ほどの適任はありますまい。大盗として都を騒がせた保輔、天下の謀反人として大暴れした純友――哀しみや儚さとは一見無縁に感じられる彼らの背負ったものを、その僅かな表情から浮かび上がらせて見せたのは、まさしく作画者の筆の冴えというべきでしょう。
しかしこの単行本第2巻までが発売されたものの、続巻がいつになるか、物語が完結まで描かれるかは、いまだわかりません。
何となれば、二番目の掲載誌である「サムライエース」誌が休刊し、本作もストップしてしまっているため…
この単行本の売れ行き如何で続巻の有無が決まるようでありますが、是非とも続巻が刊行されてほしい、結末まで描いてほしい、と心から願います。
本作を――この世を彩るのは、悲しみや儚さだけではない。たとえ無辜の民が鬼と化す、鬼と化させられる世の中にあっても、必ず光はある――物語の結末は、そう教えてくれるのですから…
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