「ニコライ盗撮」(その二) 盗撮が抉る大津事件の真実と虚構
風野真知雄の初期の代表作「盗撮」三部作の掉尾を飾る作品、ロシア皇太子ニコライが襲われた大津事件、そして西郷隆盛生存説の謎を描く「ニコライ盗撮」の紹介の続きであります。
本当に西郷は生きているのか。畝傍はロシアに奪われたのか。薩摩士族たちの企みとは何か。そこに小夜はどのように絡んでいるのか。そして津田三蔵は単独犯だったのか――
数々の謎の先に浮かんだある巨大な疑いを確かめるために、悠之介はニコライの盗撮を図ることになります。
本作、いや本シリーズにおいて重要な意味を持つ「盗撮」――それは単なるパパラッティなどではなく、歴史の陰に隠されたものを、写真という嘘偽りのない、ありのままを映し出すメディアでもって切り取って見せる行為であります。
そしてその中に浮かび上がるのは、権力者たちの手によって隠され、あるいは作り替えられた真実――日本が急速に近代化していく中で虚構の中に隠された真実なのであります。
大津事件、いやニコライ来日の陰に仕掛けられた巨大な虚構。それは何なのか、そしてそれに何の意味があるのか――悠之介がその写真でえぐり出す真実は、もちろんそれ自体が――いささかメタな表現となりますが――フィクション、虚構であります。
しかしその虚構、歴史の陰の虚構を描き出す虚構は、同時にあり得たかもしれないもう一つの真実を描くものであり…物語自体の面白さはもちろんのこと、その構造自体もまた、大いに興味深いものがあります。
しかし本作の結末においては、シリーズのラストとして、もう一つの仕掛けがほどこされています。
巨大な虚構、真実をも覆い隠そうとする虚構に挑むとき、武器となるもの、それは…上で述べた「盗撮」の意味、それを根底から覆すような悠之介の選択は――それが全くやむを得ないものであったとはいえ――本作の幕引きに相応しいものでありましょう。
そしてさらに言えば、その先に彼が見たもの、彼が写そうとして写せなかったもの――その存在は、いまこの時代こそ、暗く重い意味を持つものとして感じられるのであります。
もちろん、まったくの偶然ではありますが…
最後になりましたが、本作で悠之介のいわば相棒として活躍するのは、東京日日新聞の若き記者・岡本敬二。
伝奇者としては嬉しくなってしまうような趣向ですが、ここで彼がなぜ本作に登場したのか――その意味を考えてみるのもまた一興でありますまいか。
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