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2014.06.18

「松永弾正」下巻 彼の下克上が始まるとき

 戦国時代の悪人の代名詞ともいえる松永弾正久秀を、戸部新十郎が一味も二味も違う切り口で描く「松永弾正」の下巻であります。流浪の身から思わぬ縁で三好長慶に仕えることとなり、頭角を現していく久秀。しかし戦国の混沌は、長慶と久秀の運命を徐々に狂わせていくことに…

 主家を乗っ取り、将軍を弑し、大仏を焼いた――かの信長をして自分にもできない悪行を為したと言わしめた松永久秀。後世に残る彼のイメージは、やはりこれらをはじめとする悪行によるところが大きいでしょう。
 しかし本作で描かれる久秀の姿は、これとは大きく異なります。本作の久秀は、主君の長慶に一心に仕え、怜悧かつ沈着な現実主義者。確かに術策を弄する面はあり、女好きではありますが、しかしそれだけではない、複雑な人格なのであります。

 堺の豪商・天王寺屋とのおかしな縁がもとで、父を殺されたばかりの長慶に仕えることとなった久秀。以来、彼は長慶の内ノ者(側近)として最も近くに仕え、内政・外交の面で、三好家に欠くべからざる存在となっていきます。

 しかし当時の三好家をとりまく情勢は複雑怪奇であります。
 後に三好政権と呼ばれたほどの勢力を畿内に誇りながらも、身分的には足利将軍の下の管領・細川晴元の被官(家臣)に過ぎない長慶。しかもその晴元や義輝は長慶を敵視し、時に公然と、時に陰から、彼を討ち、その力を奪わんとするのです。

 これがもう少しだけ時代が下っていれば――あるいは長慶にもう少し人間性が乏しければ、下克上の流れの中、あるいは全く異なる歴史が生まれたかもしれません。
 しかし本作における長慶は、争いを好まず上下をわきまえ、自分に対して憎悪の目すら向ける晴元に対しても律儀に振る舞う人物。
 そんな長慶の意を汲んで、しかし三好が滅ぼされることがないように、久秀は孤独に自分なりの戦いを続けるのですが…そんな心身を削る日々が長慶の心を蝕んだ時、全てが崩壊していくこととなります。


 既に触れたように、本作の久秀は、あくまでも長慶への忠義の念、いや、長慶を己にとっての「神」と崇める信仰の念に生きる人物。
 そんな彼の神が壊れた時、そしてそれが幕府という制度――既に時代に取り残され、形骸化しながらもなお人を理不尽に縛り続ける制度とそれにしがみつく者――によるものであった時、そこに初めて、久秀の「下克上」が生まれるのであります。

 それは現実が見えすぎるほど見えながらも、かつての理想に生きる主君を崇拝してきた彼にとって、あるいは必然であったのかもしれません。
 しかしそれはむしろ、作中にあるように「心優しく、義理固く、寛容な実権者が涙し、心常なく、狡猾な流浪者が威張」る世界への、彼なりの復讐にも感じられるのです。

 しかし、まことに無惨なことに、たとえ復讐を成就させたとしても、失われた時は戻ることなく、壊れた神が甦ることはありません。
 そこに残るのは、ただ残りの空虚な生を送る者の、形骸が残るのみ…


 本作は、久秀の義輝襲撃を描いた後に一気に時代は飛び、信長の麾下となった久秀の姿がごくわずか描かれた後、あの印象的な姿を描いて終わることとなります。
 その構成に不満を抱く方もあるかもしれませんが、しかしそれまでに描かれてきたものを見れば、それ以上の描写は必要ない…というのは言い過ぎにせよ、十分にその間のことは想像できましょう。

 ピカレスクとしての松永久秀物語を求める方には不満でありましょう。しかし、他の作品にはない形で久秀像を作り上げ、それを以て時代のうねりに飲み込まれた者の悲劇を描いた本作は――久秀の後世の評判も考えれば一層――胸に迫るものがあると感じられます。


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