『信長の首』 葬送者が見た本能寺の変
織田信長は今なお小説などフィクションの世界においても人気の存在ですが、その理由の一つに、あまりに劇的なその最期があるのではありますまいか。本作は加野厚志がその信長の最期を描いた作品ですが、いかにも作者らしい視点から描かれるユニークな内容であります。
本作の主たる舞台となるのは天正元年からの十年間…足利幕府を滅ぼして以降、天下布武に向けて王手をかけた、信長の人生において最も輝ける期間であり、そして言うまでもなく信長最後の十年間であります。
しかしこの時期を舞台とした作品が無数にある中で異彩を放つのは、本作が、長谷川宗仁の視点から描かれている点でしょう。
正直なところ、宗仁については戦国時代の商人で茶人という程度の知識しかなかったのですが、しかし本書で描かれた、本作を通じて知った彼の人生は激動の一言であります。
商人というより茶人の立場から信長の準家臣的位置にあった彼の、しかしある意味最大の役目は、彼が京の町内の葬送を扱っていたことからきた、一種の葬祭業者としてのそれ。
本作で描かれるように「獄門宗仁」と呼ばれたかはわかりませんが、この時期に信長に滅ぼされた朝倉義景や武田勝頼の首級を、信長の命により獄門に晒したというのは史実のようです。
本作ではそんな宗仁を、商人・茶人でありつつも、ある意味最も近くで武将たちの生と死を見つめた存在とし――その彼のある種客観的視点からから信長と彼の周囲の人々の狂奔を描くのであります。
彼の目に映る信長をはじめとする武将たちの姿は、戦場での華々しい(というのも一種の虚構なのですが)活躍とは裏腹の、陰険な調略を繰り返し、平然と相手を裏切る存在。
信用こそが命である商人とは真逆を行く戦国武将の世界――それは確かに、宗仁のような立場からでなければ描けますまい。
しかし――本作の最大の特徴は、本能寺の変に至るまでの流れを、一種の陰謀劇として描くことであります。
いや、本能寺の変を陰謀、謀略として描くのは、ある意味全く珍しいことではないでしょう。本作で印象的なのは、そこに、これまでにないある人物の影を浮かび上がらせることであり――そして宗仁がその人物の意志に迫る姿が、作者らしいスタイルで描かれている点です。
これまでこのブログでも様々な作品を扱ってきましたが、作者の時代小説は、ミステリ、あるいは謀略小説的性格を色濃く持つものが大部分を占めるように感じます。
ある事件(その多くは史実に残るものですが)に対し、巻き込まれた主人公が真実を探っていく…というのは当たり前ですが、しかし作者の作品は、真相に見えたもの、真犯人・首謀者に見えたものが目まぐるしく変わっていくのが最大の特徴であります。
事件のことを探れば探るほど、容疑者の意外な素顔が明らかになり、事件にまた別の側面があることが浮かび上がる。誰が犯人なのか、そして何を信じるべきなのか、最後の最後までわからない、不安定な世界…そんな作者の作品世界は、本作でも健在であります。
もちろんここでは、その真犯人の名は挙げませんし、その是非(信憑性)は問いません。
しかし、この時期において信長に叛逆した三人の武将――松永久秀、荒木村重、そして明智光秀と共通して、その人物が交流を持っていた、そして本能寺の変の際にその消息が不明だったというのは、大いに心引かれるものであります。
題材が題材だけに、よく知られたエピソードも多く、その辺りはもう少し絞ってもよかったのではないか、という印象も正直なところあります。
上で述べたような作者のスタイルが、迂遠に感じられるかもしれません。
それでも、戦国武将たちの陰に隠れ、しかし彼らに負けず劣らず数奇な運命を辿った宗仁の視点は、なかなかに得難いものを感じるのであります。
『信長の首』(加野厚志 文芸社文庫) Amazon

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