『恋する狐』 優しい眼差しと蕪村の微笑み
折口真喜子の第一作『踊る猫』については、以前このブログで取り上げましたが、その続編ともいうべき作品が刊行されました。前作同様、かの与謝蕪村を狂言回しに、あやかしや不思議の入り交じった世界を優しい視線で描く全九編が収められた短編集であります。
「蛍舟」「いたずら青嵐」「虫鬼灯」「燕のすみか」「鈴虫」「箱の中」「鵺の居る場所」「ほろ酔い又平」「恋する狐」と、本書に収録された作品に共通するのは、有り体に言ってしまえば、蕪村が顔を出すことのみ。
彼自身が主人公となることもあれば、別の主人公を支える役割となることもある。時には一場面に顔を出すのみということもある…とその程度も様々なのですが、それだけ本書に収録された作品たちは融通無碍な、バラエティ豊かな内容であるということは間違いありません。
しかしその中にも共通する点が――前作とも共通する点が――存在します。
それは、本作に登場する全ての存在…生きている人間はもちろんのこと、亡くなった者や人外の妖、動物や時に器物まで、いや自然の風物まで、全てが等しくこの世に住む住人であり、そして皆隣人であるという、優しい眼差しなのであります。
そして作者の分身として、その眼差しを持って作品に登場するのが、蕪村であることは言うまでもありません。
自身が決して平坦な生を生きてきたわけではない蕪村が、しかしそれだけに様々な機微を知った視点で見つめるこの物語世界は、それだけに優しく、また美しいのであります。
そしてその蕪村の、人生や美に対して語る滋味あふれる言葉もまた、本作の大きな魅力でしょう。
例えば、蕪村が知り合った子供に語る言葉――
「絵描いたり、唄ったり、踊ったりするんは、じっとしてられへんからや。(中略)だからな、この絵はおっちゃんの気持ちが溢れ出たもんなんや。だからなんかの役に立つか、いうたら別になくてもええもんやねん。でもな、うれしいとき飛び跳ねられへんかったらなんや納まり悪いやろ? この絵もな、おっちゃんは描かずにはおられんかったんや」
これは、この世に芸術が存在する、何よりの理由でありますまいか。
そんな本書の中で私にとって特に印象に残ったものといえば、「鈴虫」と「箱の中」でしょうか。
前者は、ひとりでに唸りを挙げ、他の刀を折ってしまうといういわゆる妖刀を巡る人間模様を描いた作品。
(おかしな表現ですが)他の作者であれば惨劇に終わりかねないシチュエーションなのが、実に本書らしい「美」の世界を浮かび上がらせた上で、何ともすっとぼけた結末を迎えるのが何とも楽しいのです。
後者は、祖母が封印した箱を開けた少女が、そこに隠された「真実」を通じて、自分のルーツにも繋がる二つの愛のあり方を知る物語。
そこで描かれるものは、時代小説の題材としては決して珍しいものではありませんが、しかしここにおいては、格別に優しい形で描かれていると感じられるのです。
決して派手さはありませんし、人によっては穏やかすぎると感じる方もいるかもしれません。
しかし本書に描かれた世界の優しさ、暖かさは、他では得られぬ無二のものであり、読んでいるうちに自然と微笑みが浮かんでしまうようなそれに、何とも言えぬ愛おしさを私は感じます。
そしてまたこうも感じるのです――その微笑みは、作中で蕪村が浮かべるそれと、きっとよく似ているだろう、と。
『恋する狐』(折口真喜子 光文社) Amazon

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