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2014.09.18

『機巧のイヴ』(その二) 人と人形を分かつもの、人を人たらしめるもの

 人間と、人間と見分けのつかぬ機巧人形にまつわる奇怪な連作集、乾緑郎の『機巧のイヴ』の紹介の続きであります。全5話の物語はいずれも趣向が凝らされた内容で、実に作者らしく魅力的なのですが、しかし…

 そんな本作ですが、読み始めた時には、個人的にはいささか、いや大いに不満を感じました。それは前回述べたとおり、本作の舞台が、江戸時代とは酷似しながらも異なる世界の物語であった点であります。

 他の作家であればともかく、作者はこれまで冒頭に述べたように、時代小説離れした、特にSF的アイディアを(ちなみに表題作は『年刊日本SF傑作選 極光星群』にも収録され好評を博した由)、しかしあくまでも時代小説の枠の中で展開するという離れ業を見せてくれた作家。それなのに…

 というのはもちろんこちらの勝手な思いこみで、本作が時代伝奇ではなく、むしろ和製スチームパンクと呼ぶべきものと気付いて以降はこちらも割り切って読むことができました。
(そしてこれはこちらの勝手な想像ではありますが、中盤以降のとてつもない物語展開を考えれば、これはそのまま現実世界を舞台とするわけにはいかなかったのでは…とも)

 しかしそんなジャンルへの勝手な拘りなどが取るに足らないものだと思わせてくれたのは、冒頭から結末まで本作に通底する、そして最終話で頂点に達する問いかけの存在が、実に魅力的に描かれていたからにほかなりません。

 久蔵が生み出す、生きた人間と見紛う機巧人形。
 もちろんその内部はあくまでも機巧のそれであれど、人と同じ姿を持ち、人と同じ機能を持ち、そして何よりも人と同じ感情を持つ時、それは果たして本当に「人間ではない」と評することができるのでありましょうか。
(そしてそれは、作中のある人物の姿を通じて逆転した形でも問いかけられるのですが)

 人と人形を分かつものは何か、人を人たらしめているものは何か。そしてそれはどのようにもたらされるのか。
 人とよく似たモノを鏡として、人とは何かという問いかけを繰り返し描く本作は、むしろスチームパンクというよりは、フランケンシュタインの変奏曲と申せましょう。

 そして描かれるその答えの一端を見れば、本作で描かれるのはロマンチシズムに溢れた愛の歌であり――私はそれを大いに嬉しく思うものであります。


 そしてもう一つ、本作の舞台が現実の(過去の)世界ではなく、もう一つの世界であるのもまた、本作における人間と機巧人形の関係をなぞらえているのかもしれない…と感じるのも、あながち穿った見方ではないのかもしれません。


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機巧のイヴ

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