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2014.10.30

『太閤の能楽師』 能が映し出す様々な対比

 遊女宿を営む母に命じられ、肥前名護屋城の太閤秀吉に接近することとなった能楽師・暮松新九郎。初めは能に興味を持っていなかったが、新九郎の「神になれる」という言葉に惹かれ、周囲の大名たちを巻き込んで能に熱中していく秀吉。その秀吉の下で腕を振るう新九郎だが……

 平安時代を舞台とした作品を中心に作品を発表してきた奥山景布子による、ユニークな視点からの戦国ものであります。
 出版社のサイトなどであらすじを見ると、「密命」「謎」「黒幕」といった言葉が躍っており、何やらサスペンスフルでミステリアスな印象を受ける本作。それは決して間違いではないものの、実際の手触りは、それとはまた大きく異なる印象の作品であります。

 山崎の神人の身分で能舞台に立つ青年・暮松新九郎。彼は、母の藤尾から突然、朝鮮出兵のために肥前名護屋城に滞在している秀吉のもとに赴き、太閤が能楽に興味を持つように仕向けよと命じられます。
 遊女屋を営みながらも、裏では様々な貴顕と繋がる謎多い母・藤尾を嫌いながらも頭の上がらない新九郎は、やむなく名護屋へ。
 そして無聊をかこつ秀吉に能を勧めたものの、何故能を舞わなければならないのかと問われた新九郎は、苦し紛れに「能を舞えば神にもなれる」と答えるのですが――

 それが気に入ったのか、以来人が変わったかのように能にハマった秀吉。新九郎らから能を習い、周囲の人間たちも巻き込んで暇さえあれば能を舞う秀吉は、やがて家康や利家をはじめとする周囲の大名を引き連れて禁中で能興行を行うまでになります。
 どの座にも属さぬ若輩者ながら、そんな秀吉に気に入られて能にまつわる諸事を司るうちに、能奉行とまで呼ばれるようになった新九郎。しかし関白秀次や周囲の人間に対する狂気にも似た秀吉の冷たさを目の当たりにした新九郎は、やがて己の行くべき道、己の求める芸とのギャップに悩むように……


 本作の何よりもユニークな点は、既に豊臣政権が揺るぎないものとなったとはいえ、朝鮮出兵など血なまぐさい戦に事欠かぬ時代を舞台にしつつも、それをあくまでも遠景として描き――それでいてその存在を濃厚に感じさせる点でありましょう。

 もちろん主人公は能楽師であり、実際に戦に赴くことなどありはしません。しかし彼の直接目にしないところであっても、同じ世界のどこかで戦は行われ、様々な形で犠牲者が出ている。
 戦とは無縁の世界に生きる新九郎であっても、何かの折に戦の陰を感じ、そして直接的ではないもののより悲惨な結果を招く戦――権力闘争の有様を、まざまざと目にするのであります。
(そしてそれは彼自身の出自ともオーバーラップしていくようにも感じられるのですが……)


 能という芸術は、幽玄の虚構の世界の中に、人間の情や業といった現実を描き出す、一種の対比構造を持ったものと常々感じています。
 その能を中心に据えた本作は、それと重なるように、様々な対比構造――武士と能楽師、武士と庶民、権威と在野、男と女、そして何よりも本作の物語と史実――を内包した物語として構成されているのであり、それが何よりも興味深く感じます。

 新九郎が悩むこととなる能の在り方は、大袈裟に言えば人間の在り方であり、そしてそれを描くことはその人間が生きる時代を描くことである……
 というのはいささか大袈裟に過ぎるかもしれませんが、本作で描かれる様々な対比を通じて描き出される世界は、なかなかに魅力的であり――そして新九郎の経験してきた現実もまた、いつしかおぼろげな過去として霞んでいくというのもまた、実に味わい深いのであります。

 冒頭に述べたとおり、ケレン味を期待するとどうかと思いますが、能楽に興味を持つ方であれば、十分に楽しめる作品でありましょう。


『太閤の能楽師』(奥山景布子 中央公論新社) Amazon
太閤の能楽師

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