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2014.10.15

『松姫はゆく』 戦国に貫く人の甘さと優しさの力

 天正十年、武田家は織田軍の猛攻により滅亡した。兄・勝頼をはじめとする親族を皆失った信玄の五女・松姫は、わずかの家臣と姪たちを伴い、安住の地を求めて必死の逃避行を続ける。彼女を追うのは、織田軍総大将であり、かつては松姫の許婚であった織田信忠。果たして松姫のゆく先にあるものは……

 戦国時代の女性の物語といえば、どうしても戦に翻弄されて数奇な運命を……ということになってしまいますが、その中でも本作の主人公・松姫ほどの人物はいないのではありますまいか。

 武田信玄の五女として生まれ、一度は同盟関係にあった織田信長の嫡男・信忠と婚約。しかし彼女が実際に輿入れする前に武田-織田の同盟は破れ、当然ながらこの婚姻は破談となります。
 そして天目山の戦で武田家は織田家の、それも信忠を総大将とする軍によって滅ぼされ、一族はほとんど殺されることに――
 そんな彼女の生涯の中で最も苛烈な半年間を、本作は描きます。

 信玄の死後、勝頼の下で対外膨張策を取った武田家。しかし戦の連続は領内を疲弊させ、武田家の力は落ちていくばかり。
 織田軍の総攻撃の前に、戦わずして寝返る者、あるいはあっさりと兵を退く者が、一門衆にまで現れ、勝頼の判断の拙さもあり、ついに武田家の命運は風前の灯となります。

 そんな中、同母兄の仁科盛信の籠る高遠城に身を寄せていた松姫は、決戦を決意した盛信によって、まだ幼い彼の子らを連れ、八王子まで落ち延びることになります。
 供をするのはわずかな彼女の同朋衆のみ――しかも一名を除き、戦場経験のない者たちであります。

 後ろから迫る織田軍、甲斐の農民たちが、いやかつての武田家の臣までもがいつ襲いかかってくるかわからない中、松姫の逃避行は続きます。


 本作において武田家が――哀しいまでにあっさりと惨めに――滅んでいく様と平行して描かれていくのは、そんな松姫の絶望的な旅の姿であります。
 一度も姿を見たことはないものの、恋に恋する年頃だったかつての松姫にとっては恋しい相手だった信忠。その信忠が彼女の一族を鏖殺していくという様に、松姫は想いを改めるのですが……
(が、当の信忠はそれでも松姫に懸想し、彼女への想いと父・信長への懼れの間で揺れ動いているのが何とも皮肉)

 そんな彼女を支えるのが、一行の中で唯一戦を知る男・獅子之助。皮肉にもかつて武田家に滅ぼされた長野家に仕えていた彼は、剣の道で身を立てようと疋田景兼(文五郎)に新陰流を学んでいたものの、やむを得ぬ事情から松姫に仕えることとなったのであります。
 二度目の主家滅亡に付き合うなど真っ平ごめんと早々に退出しようとするも、守る者とてない松姫と、一門の中で唯一壮絶な戦死を遂げた盛信の姿に背を押され、彼は松姫を守って戦うのです。


 そして本作は、そんな獅子之助に対する松姫の問いかけを中心に描かれていくこととなります。何故、男は戦をするのか。戦のない平和な世はあるのか――
 もちろん、生まれた時から戦場にいたような獅子之助に、その答えはありません。いや、そんな疑問すら持ったことはありますまい。それでも松姫と触れ合う中、獅子之助の中に変わっていくものが生まれていくことになります。
 そして変わっていくのは彼だけではありません。松姫もまた、逃避行の中で獅子之助らと触れ合う中、己に課せられたもの、己だけにできる戦いに気づくのであります。

 松姫の考えは、確かに甘く、優しすぎるものでありましょう。(こういう設定であればある意味当然の)松姫と獅子之助の間に生まれる感情もまた、別の意味で甘いと言えましょう。
 しかしそうした想いを感傷と切って捨てることは、それこそが戦いの終わらぬ理由となるのではありますまいか。

 この甘さ、優しさこそが人が人たる所以であり、そしてそれが時として一つの力を生むことを、本作は一つの極限状況の中で描き出します。
 そして結末に描かれる彼女の姿は、その力がこの上もない力を持つことを、美しく浮かび上がらせるのであります。


『松姫はゆく』(仁志耕一郎 角川春樹事務所) Amazon
松姫はゆく

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