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2014.11.20

『お髷番承り候 9 登竜の標』 想いを繋げる「心」の継承

 四代将軍・家綱の髷を整えるお髷番にして腹心・深室賢治郎の奮闘を描く『お髷番承り候』も、早いもので二桁の大台目前の第9巻。前巻で、甲府綱重の生母・順生院の用人であり、様々な陰謀を巡らせていた山本兵庫を倒した賢治郎ですが、その一件が意外な形で後を引くこととなります。

 五代将軍の座を巡り、激しく水面下での争いを繰り広げる甲府綱重一派と館林綱吉一派。その争いに対し、老中・阿部豊後守が家綱の御台所を巻き込んで取ったのは、御台所が懐妊したという噂を流すことでありました。
 今後の将軍後継レースに決定的な影響を及ぼしかねぬこの情報の真偽を巡り、腕づくという非常手段を取った兵庫をやむなく賢治郎は討ち果たし、甲府側は一歩退くことに。

 しかしその一方で、館林側に抱き込まれた黒鍬者が、深室家を襲撃――というのが前作のあらすじ。その黒鍬者をあっさりと退けた賢治郎ですが、真の敵はその先にありました。

 これまで散々対立しておきながら、何故か今頃になって突然義絶の届けを出してきた賢治郎の兄・主馬。これまた賢治郎と不仲な義父・作右衛門を強請ろうとする兵庫の元家臣たち……そんな一連の動きに目付が不審を抱いたことで、賢治郎は思わぬ窮地に立たされることになるのであります。

 刀や飛び道具で襲われるのも確かに恐ろしいことですが、しかし幕府の役人を殺すには何も武器は要りません。幕府の役人の非違を取り締まる目付によって落ち度が見つけられること――それだけで(少なくとも社会的には)生命を絶たれるのですから……
 この辺りの仕掛けは、幕府の複雑怪奇な権力構造と、そこに巣くう者たちの暗闘を描いてきた作者ならでは。特に賢治郎のような直情径行で経験の浅いタイプには、これは最も恐るべき罠でありましょう。


 が――正直に申し上げれば、そこまでの展開が悠長に過ぎる、という印象があります。

 冒頭に述べたとおり、9巻という結構な巻数を重ねてきた本作。その中で描かれるのは、甲府と館林、そしてそこに紀伊が絡んでの将軍位を目指す暗闘の繰り返しであります。
 もちろん、それこそがメインストーリーであり、そして史実からすればその闘いはまだまだ続くわけですが、しかし似たような展開の繰り返しという印象は否めません。

 そしてその中で家綱を守って戦うべき賢治郎ですが……これまで同様、事態に翻弄される一方なのが何とも歯がゆい。
 もちろん、賢治郎は将軍の側に抜擢されたばかりであり、そして本シリーズの主題は、そんな彼の成長の様にあることは十分理解しているのですが――これだけの巻を重ねてきたのですから、それだけの成長を見せて欲しい、というのが人情であります。


 と、厳しいことを申し上げましたが、それでは本作が面白くないかと言えば、それは否、なのです。先に述べたとおり、周到に賢治郎を追いつめる罠の中身はもちろんなのですが、それ以上に魅力的なのは、そんな彼の周囲にあって、彼を教え、鍛える先人たちとのやりとりであります。

 ともに家綱を傅育してきた松平伊豆守亡き後、何とか賢治郎を次代の寵臣として鍛え上げようとする阿部豊後守。家綱に取って代わることを狙いつつも賢治郎に惚れ込み、厳しく接しつつも父・家康譲りの武士の在り方を教え込む徳川頼宣。
 立場も目的もまったく異なれど、賢治郎の成長を望み、自らの背負ってきたものを託そうとする点では共通する両者の言葉は、実に味わい深く、こちらまでも教えられた気分になってしまうほどであります。
 特に老いながらもなおも枯れぬ頼宣の語る、時にひどく生々しい人間心理の有り様には、頷かされることしきりでした。

 作者の作品に共通するテーマ……「継承」。それは象徴的には武家社会の最小の構成単位たる「家」の継承でありますが(そしてそれは同時に最大の構成単位たる将軍位の継承にも繋がるわけですが)、それだけではなく、想いの、経験の継承というべきものがある。
 血が繋がらなくとも、想いは繋がっていく――そんないわば「心」の継承を本作は、本シリーズは力強く描き出しているのであり、それが実に魅力的なのです。
(これまで散々醜態を晒してきたある人物が土壇場で見せた姿もまた、これに連なるものではありますまいか)

 さて、賢治郎の身には最大の窮地が迫り、その一方では豊後守が、彼に新たな試練を与えようと目論みます。
 おそらくは次の巻では、大きな大きな動きがあるのではないか――そしてそれは、この『お髷番承り候』という物語を総括するものになるのではないかと想像しているところであります。


『お髷番承り候 9 登竜の標』(上田秀人 徳間文庫) Amazon
登竜の標: お髷番承り候 九 (徳間文庫 う 9-34 お髷番承り候 9)


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