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2014.11.09

『私が愛したサムライの娘』 女忍が取り戻した二つの生

 いよいよ激化する八代将軍吉宗と尾張藩主宗春の対立。尾張家に仕える甲賀忍び・雪乃は、秘命を帯びて長崎に向かい、出島の遊郭に太夫として潜入する。彼女が接近したオランダ商館医師・ヘンドリックに対し、驚くべき計画を持ちかける尾張徳川家。しかしヘンドリックと雪乃の間には真実の愛が……

 第6回角川春樹小説賞受賞作にして、作者のデビュー作は、ジャンル的には忍者ものと言うべきかもしれませんが、それに留まらぬ様々な要素を盛り込んだ、なかなかにユニークな作品であります。

 とある小藩から古文書を奪い取り、公儀隠密との死闘の末に帰還した尾張徳川家配下の甲賀忍び・雪乃。彼女の次なる任務は、長崎で太夫となり、オランダ商館員を籠絡することでありました。
 宗春と吉宗の対立が決定的なものとなった今、宗春が計画するのは乾坤一擲の倒幕計画――彼は開国と引き替えにオランダを味方に付け、その力でクーデターを計画していたのです。

 雪乃と、そして彼女の師にして上司であり、秘めた想いを寄せる相手でもある左内は、その大望のために活動していたのですが――
 しかしそこに思いも寄らぬ事態が、それも二つ起きることとなります。一つは、太夫と客の関係でしかなかった雪乃とヘンドリックが本気で愛し合うようになったこと。そしてもう一つは……


 徳川吉宗と徳川宗春の対立は、吉宗の時代を舞台とした作品ではほぼ定番の題材でありましょう。そしてまた、出島のオランダ人と日本人女性の悲恋も、これまで様々な形で描かれてきた題材であります。
 本作はそんな二つの、悪く言えばありふれた題材を、忍者というもう一つの題材で結びつけることにより、意外な味わいの作品を生み出すことに成功した、と言えます。

 宗春の大望を実現するため、己を捨てて戦う忍びたち。そしてその戦いは、何も刀を、手裏剣を手にしたものだけではありません。本作の雪乃のように、(個人的には好きな表現ではありませんが)女の武器による戦いというものも存在するのであります。

 しかしそこにあるのは、人間としても、女性としても、二重の意味で個人の生を捨てた在り方でしょう。
 舞台となる時代に、現代のように個人の価値を求めることはナンセンスかもしれませんが、しかし雪乃の中に哀しみと虚しさが漂うこともまた、当然のことでありましょう。

 大げさな表現ではありますが、本作はそんな雪乃が人間としての生を、女性としての生を取り戻していく物語として読むことも可能でしょう。
 その手段が「愛」というのは、いささかストレートに過ぎるかもしれませんが、しかし先に述べたように、本作ならではのユニークな舞台設定が、それをうまく包みこんでいるとも感じます。


 もっとも、その構造も痛し痒し、物語の中心が雪乃だけでなく、時にヘンドリックに、(特に終盤は)左内に移ってしまうために、雪乃の存在感が薄くなってしまった感は否めません。

 政というマクロなレベルの物語と、愛というミクロなレベルの物語と――二つのレベルの物語を同時に描くのは少々荷が重かったか、という印象もまた、正直なところであります。


『私が愛したサムライの娘』(鳴神響一 角川春樹事務所) Amazon
私が愛したサムライの娘

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