『イーハトーブ探偵 ながれたりげにながれたり 賢治の推理手帳』 本格ミステリと人の情と
あの有名人が実は意外な探偵の才能を持っていた、あるいはあの有名人が実は意外な事件に巻き込まれて探偵役となっていた……という有名人探偵ものは、私の大好物の一つなのですが、本作もそんな作品の一つ。あの宮沢賢治が数々の奇怪な事件を解き明かす短編連作集であります。
宮沢賢治といえば、『雨ニモマケズ』や、『グスコーブドリの伝記』『銀河鉄道の夜』などから、生真面目で自己犠牲的な、ちょっと重くて近づきにくい人物という印象を勝手に持ってしまうのですが、本作に登場する賢治は、それとは大きく異なる人物として描かれます。
本作の賢治は明るくユーモアを愛し、人懐っこい――その一方で夢中になると周囲が見えなくなるために奇人変人のように受け止められてしまうのですが――人物。
どうやら賢治の親友の証言によれば、実際にはこちらの人物像の方が現実に近いようなのですが、本作ではその親友・藤原嘉藤治(『セロ弾きのゴーシュ』のモデルとなったセロを持っていた人物)をワトスン役に、賢治をホームズ役に展開されることとなります。
さて、有名人探偵ものの定番として、その有名人が巻き込まれた事件が、彼の有名な功績・事績に影響を与える、あるいは逆にその功績・事績が事件のきっかけとなるというスタイルがありますが、本作もその例外ではありません。
本作の舞台となるのは大正11年(1922年)、賢治が花巻農学校の教師を務め、『注文の多い料理店』や『春と修羅』に収録されることとなる作品を書き溜めていた頃。
そして本作でケンジとカトジのコンビが経験する怪事件の数々が、これらの作品にも影響を与えたことが描かれるのです。
しかし、そんな定番も全く気にならないほどのインパクトを与えてくれるのが、本書で描かれる事件の数々であります。
とある温泉地で目撃された、歩く電信柱や川を泳ぐ河童の真相を追う『ながれたりげにながれたり』
音楽鑑賞会のために豪農の家に泊まった二人が、そこで起きた凄惨な殺人事件に巻き込まれる『マコトノ草ノ種マケリ』
町役場で起きた殺人事件の犯人として捕らえられた青年を救うため二人が奔走する『かれ草の雪とけたれば』
幾人もの目撃者がいる中、一匹の馬が毒蛾の群れによって一瞬のうちに白骨化された謎を解き明かす『馬が一疋』
……いずれの事件も奇々怪々、一歩間違えれば怪奇大作戦クラスの怪事件なのです。
そう、本作は有名人探偵ものにして、直球ど真ん中の本格ミステリ。超常現象にも見えるような不可能犯罪のトリックを、ケンジはその科学知識と観察眼でロジカルに解き明かしていくのであります。
その代表的な作品が、『マコトノ草ノ種マケリ』でしょう。
招かれて豪農の屋敷――いわゆる南部曲り家に、他の客たちと泊まった二人。しかし二人が屋敷の主人夫婦と語らっている間に、先に寝ていた男が無惨に首を切断された死体となって発見されます。
現場に他人の痕跡もない状況で、果たしてどうやってこの殺人が行われたのか。いやそもそも、何故男は首を切られなければならなかったのか――
○○ネタあり、実は○ものだったりと、想像以上に豪快なトリックに驚かされる作品ですが、しかしこの作品も、もちろん本書の他の作品も、それに留まらず、さらに一歩踏み込んだ物語を提示するのであります。
それはいわゆるホワイダニットにまつわる部分。賢治が真に解き明かすのは事件のトリックではなく、何故その事件が起きなければならなかったのか、その裏に隠された犯人の切実なる事情なのです。
本格ミステリの良い読者ではない私が言うのも恐縮ですがが、名探偵が挑むに足る巨大な謎を、説得力を持って描こうとすれば、そこに必要となるのはやはりそこに至る動機……突き詰めれば人の情ではありますまいか。
だとすれば本書は、いずれもそんな人の情を――もちろんこの時代、この舞台ならではの形で――示してくれる作品揃いであり、見事な本格ミステリであると申せましょう。
そしてそれを見抜くのは、賢治の優しい眼差しなのであります。
有名人探偵ものとして、本格ミステリとして――驚くほどのクオリティを見せてくれた本作。
賢治の眼が次に見るのはいかなる事件、いかなる人の情なのか、そしてそれがいかなる作品を生み出すのか……気にならないわけがありません。
『イーハトーブ探偵 ながれたりげにながれたり 賢治の推理手帳』(鏑木蓮 光文社文庫) Amazon

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