« 『血もしたたるいい男 晴れときどき、乱心』 怪人いや怪物乱入の大混戦 | トップページ | 『信玄の首』 戦い続ける忍者の血みどろ成長絵巻 »

2014.12.25

『池田屋乱刃』 歴史のうねりに巻き込まれた男たちの姿に

 これまで戦国もの中心に活躍してきた伊東潤が幕末を舞台として描いた本作の題材は、タイトルのとおり「池田屋事件」。幕末もの、それも新選組ものでは必ず題材となる事件でありますが、本作の主役となるのは、襲撃を受けた志士サイド……五つの異なる視点から事件を描く連作集的作品であります。

 池田屋事件についてはあまりに有名な事件ゆえ、ここでその内容には触れませんが、幕末ものでは、「新選組が池田屋で不逞浪士と戦い、勝利した」という扱いがほとんどと言ってもよいのではありますまいか。

 しかしもちろん、斬られた側にも(そして生き残った側にも)それぞれの想いが、生き様があることは言うまでもありません。
 全五章から成る本作は、一章に一人ずつ、志士サイドの人物のドラマが描かれることとなります。

 新選組のスパイとして志士たちの間に送り込まれながら、次第にその熱に感化されていく福岡祐次郎。
 坂本龍馬とともに海の向こうに想いを馳せ、蝦夷地開拓を志しながらも同志のために命を賭ける北添佶摩。
 吉田松陰と熱い想いを交わし、その遺志を胸に、最後の最後まで志士としての生き様を貫いた宮部鼎蔵。
 将来を嘱望され、官吏として生きる道を歩みながらも師・松陰の言葉を捨てられなかった吉田稔麿。
 たまたま長州藩京都留守居役であったことから事件に翻弄され、桂小五郎に冷や飯を食わされた乃美織江。

 出身も身分も、その胸に抱いた想いも全く異なる五人それぞれの視点から、比較的短い時間に起きた一つの事件が描かれるというのは、いかにも作者らしい物語構造でありましょう。
 前のエピソードでのある描写が、次のエピソードでは別の意味を持って描かれるなど、小説として凝った構成も実に面白く、「読ませる」作品であります。
(この辺り、実は本書の収録順と、雑誌での発表順が正反対という、一種の逆回し撮影的手法なのも面白い)


 しかし――ここで白状してしまうと、私は幕末ものでは幕府びいきと申しますか、志士の言う「志」というものを、どうしても一歩引いて見てしまう人間であります。
 そんな身としては、本作で描かれる志士の生き様というものに今一つ感情移入できないのではないか……と読む前は考えておりました。

 しかしそんな人間でも思わず我が身に照らして読まされてしまう――そして、読者それぞれに、感情移入できる人物がきっといる――のが、本作の恐るべき点でありましょう。
 それを可能たらしめるのが、先に述べた、一つの事件を、全く異なる立場の様々な人物の視点から描くという本作の構造にあることは言うまでもありません。

 例えば私の場合、福岡祐次郎の一種アナクロニズムに溢れた物語はどうにも受け付けなかったのですが、本来はここで死ぬべきではなかった吉田稔麿の、そして何よりも「志」などというものとは無縁の凡人であった乃美織江の物語には大いに感情移入させられた次第です。
(特に吉田稔麿のエピソードは、時系列をばらばらに描きつつも一つの物語として収束させるという技法的にも感心)

 もちろん本作の中心には、明日のこの国の姿を夢見つつ、非業の運命に殉じた人々の「志」があることは言うまでもありますまい。
 しかしそれに留まらず、本作に描かれているのは、より普遍的な人間な姿――すなわち、自分ではどうにもならないような巨大な歴史のうねりに飲み込まれながらも、必死に生きる人々の姿なのではありますまいか。

 それだからこそ、本作は誰が読んでも必ずや心を動かされる物語なのではないかと感じた次第。
 勤王派も佐幕派も読むべし、と言っては大げさにすぎるかもしれませんが……


『池田屋乱刃』(伊東潤 講談社) Amazon
池田屋乱刃

|

« 『血もしたたるいい男 晴れときどき、乱心』 怪人いや怪物乱入の大混戦 | トップページ | 『信玄の首』 戦い続ける忍者の血みどろ成長絵巻 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/13655/60845931

この記事へのトラックバック一覧です: 『池田屋乱刃』 歴史のうねりに巻き込まれた男たちの姿に:

« 『血もしたたるいい男 晴れときどき、乱心』 怪人いや怪物乱入の大混戦 | トップページ | 『信玄の首』 戦い続ける忍者の血みどろ成長絵巻 »