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2015.01.17

『青天 包判官事件簿』 現実的で、理想的な名判官のお裁き

 中国もの、特に壮大な歴史絵巻だけでなく、江湖の人々の冒険を趣向を凝らして描くのを得意とする作家は何人か浮かびますが、その一人が井上祐美子であることは間違いありますまい。本作はその作者が、中国の民衆に広く知られた名判官・包青天こと包希仁の活躍を描いた連作集であります。

 ……と言っても、なかなか日本では包青天の名は知られていないかもしれません。

 包希仁(包拯)は11世紀に北宋第4代皇帝・仁宗に仕えた実在の政治家。若くして科挙に合格し、両親に仕えるために職を辞した空白期間があったものの、以降は地方の知事、中央の官僚と順調に出世した人物であります。
 彼は賄賂を嫌い、朝廷の貴族・高官の収賄も容赦なく摘発したことから民衆の人気が高く、それが後に伝説化し、弱きを助け強きをくじく理想の役人として知られるようになった――

 というわけで、日本でいえば大岡越前や遠山の金さんを想像していただければ、当たらずとも遠からずではないかと思います。
(日本では滝口琳々の少女漫画『北宋風雲伝』に登場するのが最も知られた包青天かもしれません)

 さて、その包希仁を主人公とした本作に収録されているのは、全部で5つの短編。
 端州知事として赴任した希仁が、土地の富豪の牛の舌が切られるという怪事件の背後の謎を解く『雪冤記』
 端州知事を退任間近の希仁が、隣州から逃げてきたという盗賊に対して取った手段を描く『赤心』
 巡察使としてとある州を訪れた希仁が、良家の子女を暴行した罪で捕らわれた青年を救う『紅恋記』
 開封府知事となった希仁が、罪人の処遇を巡る汚職を裁く『黒白』
 同じく開封府で、古道具屋ともめ事を起こした朝廷の権力者の縁者を巡り、希仁の名声が危機に晒される『青天記』

 これらの物語に登場する希仁は、確かに推理力・洞察力に長けた切れ者ではあるのですが、しかし中国では「閻魔」と例えられるような恐ろしげなイメージとは全く異なるキャラクターとして描かれているのが何とも楽しい。

 何しろ、仕事中に宙を見つめてボーッとしたり、いくら周囲から注意されても着物や書類に墨をはね飛ばしたりと、かなりのぼんやり者。端州時代から彼に仕える老役人の孫懐徳も苦労が耐えません(それもまた本作の楽しさの一つであることは言うまでもありませんが)。
 もちろんそれは彼一流の韜晦ではあるのですが、お裁きの方も単純に厳格なのではなく、清濁を併せ呑んで一方の顔も立てつつ、より弱き者、より貧しき者を助ける結果となるのが、何とも心憎いのであります。

 短編集という性質上、そしてこの希仁の性格上、物語の規模はあまり大きくならず、おとなしい印象を受けるものばかりのため、その点は物足りないという方もいるかもしれません。
 しかし、既存のイメージを踏まえつつも、よりリアルで、しかしやはり理想的・魅力的な名判官像を本作が作り出していることは間違いなく――私はその適度な虚実の距離感が、何とも楽しく思えるのであります。


 なお、本書の収録作のうち、『雪冤記』は1998年に雑誌掲載、『黒白』は2007年にアンソロジーに掲載されたもの(その他の作品は、本書の刊行に合わせて書き下ろされたもの)。
 そんなシリーズれが今になっていわば復活した理由は存じませんが、折角復活したからには、まだまだ活躍していただきたいもの。
 現実的で、しかしあくまでも理想的な名判官の粋なお裁きを、まだまだ味わいたいのであります。


『青天 包判官事件簿』(井上祐美子 中央公論新社) Amazon
青天-包判官事件簿

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