鈴木英治『我が槍を捧ぐ 戦国最強の侍・可児才蔵』 ロマンチストの旅の結末
戦場で討った相手が多すぎていちいち兜首を取っていられず、目印に相手の口に笹を噛ませたことから「笹の才蔵」との異名を取り、関ヶ原では17個の兜首を上げて家康から賞賛されたという豪勇・可児才蔵の一代記であります。稲葉山城から関ヶ原に至るまで、戦いに戦い続けた才蔵の求めたものとは……
ある目的を持って、斎藤龍興の稲葉山城にやってきた才蔵。成り行きから龍興の家臣・笹山源左衛門に仕えることとなった彼は、織田軍によって城が攻められ、落城する場に居合わせることとなります。
その後は織田側につくこととなり、明智光秀の家臣となった才蔵は、巻き込まれて本能寺攻めに参加。その後、秀吉の軍と対峙することとなった才蔵は、不思議な因縁から秀吉に見込まれ、羽柴秀次付きになるのですが……
と、関ヶ原に至るまで、次から次へと主と戦場を転々とする才蔵。そんな才蔵の戦う理由とは、実はかつて故郷の、愛する娘の家から盗まれた宝刀――人魚の骨で作られ、持つ者に不老不死の力を与えるという刀・真歌音を取り戻すことでありました。
なるほど、主を七回変えて一人前と言われた戦国時代の武士だけに、主君の数が多いのは珍しいことではありませんが、しかし彼の仕えてきた相手は、斎藤龍興、明智光秀、羽柴秀次と、見事に「負け組」に属する武将ばかり。
この辺りいろいろ考えさせられるものがありますが、そこに一種伝奇的な宝刀探しに結びつける――すなわち、宝刀を手にしたと言われる相手に仕える――というのは、ユニークな設定でしょう。
さらに、身分としてはさほど高くはなかった才蔵が、様々な武将たちと絡んでいくきかけとして、宝刀を機能させているのも面白い仕掛けであります。
(あくまでも「伝奇的」なのはきっかけのみであり、物語自体は全うな歴史ものでありますが……)
そしてそんな設定だからして、本作の才蔵は、武人としては比較的恬淡とした性格と描かれることとなります。
生きるために戦場に出て、持ち前の豪勇から大活躍するものの、本来の目的は宝刀を探すため。いわば功名はおまけ……
というのはさすがに誤解を招く表現ですが、実際に戦場に出て相手を殺し、その首を取るという、考えてみれば殺伐この上ない彼の人生から、血生臭さを可能な限り除くことに成功していることは間違いありません。
ただし、これがために才蔵の行動が、すなわち本作の物語がいささか淡々としたものになってしまっている、という印象は否めません。
さらに、様々な(そして有名な)戦場に参加したことでそちらに興味が行ってしまい、かえって彼の個性が薄れるきらいがある……と、いささか厳しい言い方もできなくもありません。
もちろん、これは本作の特色とは背中合わせ。本作ならではの才蔵像を如何に受け止めるか――彼の姿に共感できるかによって、大きく変わるものではありましょう。
しかし、殺し、奪うためではなく、探し、求めるために――それも彼自身は求めてなどいない不死の力を持つ宝刀のため――生涯を戦場に暮らした本作の才蔵は、一個のロマンチストとして印象に残ることは、間違いありますまい。
そしてそんな彼の人生の結末、史実を踏まえて描かれるその最期の姿は、本作ならではのフィルターを通すと、不思議な余韻を残すのであり――それはなかなかに、味わい深いものであります。
『我が槍を捧ぐ 戦国最強の侍・可児才蔵』(鈴木英治 角川春樹事務所) Amazon

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