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2015.06.28

吉川永青『闘鬼 斎藤一』 闘いの中に己の生を貫く

 近年成長/活躍著しい歴史小説家を五人、いや三人挙げた時、間違いなく吉川永青の名前が含まれるでしょう。本作は、これまで戦国ものの印象が強かったその作者が、幕末を――それも新選組の斎藤一を主人公とした作品。この作品ならではの斎藤一像が描かれる物語であります。

 少年の頃から、「闘い」に取り憑かれ、その中でこそ己の生を実感してきた一。弟子入りした試衛館で、己と良く似た想いを抱く沖田総司と意気投合した彼は、試衛館の仲間たちとともに(紆余曲折はありつつも)浪士組に参加することとなります。

 己の命を的にした闘いを愛する一と総司にとって、浪士組改め新選組での闘いの日々は飢えを癒すものでありましたが――しかし内部での権力闘争が、幕府と薩長・朝廷との駆け引きが、彼らを、彼らの望まぬ闘い、いや「争い」へと巻き込んでいくこととなります。
 やがて幕府が倒れ、仲間たちが斃れていく中、それでも一は己の闘いを続けるのですが……


 斎藤一については、今更言うまでもない新選組の有名人。きちんと数えたわけではありませんが、近藤土方沖田に次いで、フィクションで活躍している新選組隊士ではないでしょうか。
 しかし先に挙げた三人が陽のイメージとすれば、一は陰のイメージ。人斬り、密偵etc.暗いイメージがつきまといます。

 そして本作の一は――確かに人斬りであることは間違いありませんが、単に相手を殺すのではなく、強敵との命のやりとりを愛する、言うなればバトルマニア。
 「総ちゃん」「一君」と呼び合う仲で、ある意味彼以上に凶暴な――何しろ試衛館に正式入門したばかりの土方を、闘志がないといきなりボコボコに叩きのめすほどで――総司と二人、闘いの中に嬉々として飛び込んでいく姿には、むしろヤンキーもの的な味わいすら漂います。

 しかし、そんな剣呑極まりない彼らの闘いは、個人の力ではどうにもならないあるいは政治、あるいは歴史といった巨大な力の前に、変質を迫られていきます。

 彼らの愛する「闘い」は、自らの命を的に、互いが鍛え上げた剣をぶつけ合うもの。それに対し、新選組が、この国が巻き込まれていくのは、兵の多寡と銃の力によって相手の命を奪っていく「争い」……

 闘争と一口に言いながらも、(少なくとも一にとっては)明確に異なるこの両者。その狭間にあって、一は、総司は、己の闘いの行方に、言い換えれば、己の生のあり方に悩むのであります。

 なるほど、純粋に闘いを楽しむ者という存在はあまりに剣呑であり――本作の河合耆三郎のように――普通の人間にとっては近寄りたくないタイプかもしれません。政治的なるものを嫌悪し、距離を置いているからといって純粋と評するのも躊躇われます。

 しかし――それでも、彼らの生き方にどこか爽やかさすら感じるのは、そこに、己の生を正面から見据え、それを貫こうとする者特有の、愚直なまでの潔さが感じられるからでありましょう。
 そしてその愚直なまでの潔さは、混沌殺伐とした幕末史の中で――たとえ史実ではどれだけ血と暴力にまみれていても――新選組に対して我々が感じるイメージと重なります。

 そしてそんな彼らの闘いが争いへと変質していく様は、そのまま江戸から明治へと変わっていく時代にも重なるものでしょう。


 歴史の流れから一種超然とした闘いの鬼の姿を描きつつも、彼に象徴される一つの集団の、そして一つの時代の変質を浮かび上がらせる。
 その姿はひどく切ないものであると同時に……しかし、どこか力強く美しいものを感じさせます。

 そう、彼は、彼らは、最後まで屈せず闘い抜いた――ただ己の生を生き抜いたのですから。


『闘鬼 斎藤一』(吉川永青 NHK出版) Amazon
闘鬼 斎藤一

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