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2015.07.25

ほんまりう『漱石事件簿』 漱石が見た近代日本の陰

 日本人ならば知らぬ者とてない文豪・夏目漱石。本作は、その漱石が関わったという知られざる事件を描く劇画であります。明治という時代、そしてそれ以降の日本の姿を浮き彫りにする事件を描く本作が発表されたのは四半世紀前ですが、全く古びたところのない、いや今だからこそ響く作品です。

 漱石本人を主人公としたフィクションは枚挙に暇がありません。特に漫画では『『坊ちゃん』の時代』が浮かびますが(そして同作を意識していることは作者が明言しているのですが)、本作はより伝奇寄りと申しましょうか――これも作者が明言しているとおり、山田風太郎の明治ものの影響を色濃く受けた作品ではあります。

 少し長くなりますが、冒頭の言を引用すれば、
「この作品は、あくまでフィクションであるが、登場人物は、すべてが実在で、その行動、セリフも、ほぼすべてが、実際の著書や記録からとられている。よって、本書は、『全編ノンフィクションによって構成された、壮大なるフィクション』である」作品なのです。

 そんな本作は、以下の全三話四編から構成される連作漫画。タイトルからは、漱石が探偵役を務める有名人探偵ものの印象を受ける本作ですが、むしろ漱石は狂言回し、あるいは傍観者に近い立場で、これに関わることとなります。

 人類学史上最大の捏造事件であるピルトダウン人の発見。その真犯人探しに挑んだ南方熊楠と、志半ばに英国を去った彼に代わり、漱石がかのジョセフ・ベル博士とともに真犯人と対面する『黄色い探偵』前後編。
 漱石が住んでいた団子坂近くでそれぞれ発見された、惨たらしい打擲の痕を持つ男女の変死体。その背後に黒田清隆がいることを知った平井太郎と二山久が真相を追う『団子坂殺人事件』。
 明治43年に漱石ら文化人・言論人を集めて行われた百物語。その百物語と前後して起きた事件が言論人を自滅させ、日本を破滅に導いていく様を語る『明治百物語』。

 いずれも、伝奇ミステリとしても実にエキサイティングな内容なのですが――特に、明智小五郎のモデルの一人と目される二山久が登場するフィクションは極めて珍しいはず――そこからさらに一歩踏み込んで、「時代」というもの、そして「個人」と「国家」の相剋を描いてみせたのが、本作の最大の魅力でありましょう。

 たとえば『黄色い探偵』。ピルトダウン人の頭骨を偽造し、密かに埋めたのが誰であったのか、これまで類説がなかったほど意外な犯人像が本作では示されるのですが――彼が犯行に走った一因には、当時の英国の帝国主義政策の負の部分があった、という解釈には唸らされるばかり。
 『団子坂殺人事件』も、タイトルからわかるとおり乱歩の『D坂の殺人事件』の真説という趣向なのですが、そこに絡むのは黒田、山縣といった明治政府の巨魁と、彼らに指嗾される森鴎外……というのもまたお見事と言うべきでしょう。

 そして本作のその方向性が極限まで推し進められたのが最終話であります。
 明治43年の年末に行われた百物語(これ自体はフィクションのようですが)にこれまでの登場人物たちが集う中、百の怪談が語られた末に現れた魔物とは――その百物語と同じ月に起きた(起こされた)あの事件とそれがもたらした時代の空気であった、というのには、ただただ圧倒されるばかりなのです。

 本作が執筆されたのは昭和末期、その当時の日本を覆っていた一種の同調圧力に対する違和感・不安感が、この最終話のモチーフとのことですが――
 それがまさか、ほぼ四半世紀後の世相に重なるとは、というのはさておき、「明治」という過去を「昭和」という現在に描いた作品が、「平成」という未来においても、いささかも古びたところを感じさせない点こそが、本作の価値を明確に示していると言えるのではありますまいか。


 その作品を通して、日本人の近代精神を浮き彫りにしたのが漱石であるとすれば、その漱石は日本近代の、一種の象徴とも言えましょう。
 その漱石を通じて日本近代の陰を描き出した名作であります。


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