吉川景都『子どもと十字架 天正遣欧少年使節』上巻 少年使節の背負ったもの
今は亡き『サムライエース』誌に連載された、天正遣欧少年使節を題材とした物語であります。恥ずかしながら雑誌連載時には読んでいなかったのですが、こうしてまとまった前半部分を読めば、それが悔やまれる、派手さはないものの、しみじみと感じるものがある作品であります。
舞台は16世紀末、戦国時代も終わりに近づいたとはいえ、戦の爪痕があちらこちらに色濃く残る時代。戦で父を亡くし、残されて心を病んだ母と暮らす小佐々甚吾(中浦ジュリアン)は、母の心を癒し、人々に安寧を与えるため、司祭を志して、セミナリヨに通うことになります。
同じくセミナリヨに集った同年代の少年たちと生活を共にするジュリアンですが、ある日、師たるヴァリニャーノに呼ばれた彼は、自分が遣欧使節の一人に選ばれたことを知るのでありました。
伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、そしてジュリアン――戸惑いながらも旅立った彼らは、それぞれの背負うものを知り、理解し、支え合いながら長い旅を続けます。
ついにローマに到着した四人ですが、しかしジュリアンは、この旅の背後に不穏な影が漂うことを感じ取って……
日本史の授業では必ず取り上げられる天正遣欧少年使節について、今更ここで詳細を述べる必要はありますまい。本作はそんな彼らの旅路を、ややコンパクトではあるものの、丹念に、そして基本的に史実に忠実に描き出します。
その意味では、起伏に富んでいるとは言い難い本作ではありますが、それと内容の豊かさに関係ないことは言うまでもありますまい。
実に本作の魅力は、史実からこぼれ落ちた、史実では描けない部分――四人の少年たちの瑞々しくもはかなく、切ない内面にあるのです。
たとえば、本作の主人公たるジュリアンは早くに父を亡くし、周囲の心ない者からは「キツネつき」などと呼ばれる母に時に手を上げられながらも、献身的に尽くしてきた少年として描き出されます。
深くその身を案じながらも、その想いは通じず、それどころか忘れ去ってしまう母。そんな哀しい現実を乗り越えるために神に近づこうとするジュリアンの姿は、宗教色というよりもむしろ普遍的な、青春の悲しみを背負ったものとして感じられます。
そしてそれは、他の三人においても変わることはありません。名家に生まれながらも、過干渉な親の存在に悩んできたミゲル。父の城が落城する中で何もできなかった過去を悔やみ、自らを厳しく律するマンショ。何事もそつなくこなしつつ、己を偽ることができない自分に悩むマルチノ――
舞台となる時代に起因するものもあれど、しかしその背負った想いはやはり普遍的な、現代の我々にもどこか馴染み深いものであります。
この時代おいて、ある意味、月に行くにも等しい異国への旅路に身を投じる……それも宗教的情熱から。
先に述べたとおり、現代では広く事跡が知られつつも、しかしその想いについて共感できる者は少ないであろう彼らを、本作は見事に――彼らにとっての宗教の意味も含めて――物語の中で甦らせているのであります。
その一方で描かれる、この使節の背後で何やら企んでいるらしい大人たちの姿。彼らの真意が那辺にあるのか、そしてそれが子どもたちの旅路にいかに影響するのか――
大いに気になるところではありますが、しかし問題はこの上巻に続く下巻が、連載完結後数年を経ても刊行されていないこと。
下巻部分を読むためにも、バックナンバーを集めねばなるまい……いまはそう考えているところであります。
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