熊谷敬太郎『華舫』 舫い合う船と船、結びつく人と人
新河岸(川越)の回漕問屋・旭屋の船頭・平蔵は、隅田川で半死半生で漂っていた少女・おみつを救い、彼女を旭屋に伴う。同じ頃、川蒸気の路線を花川戸から新河岸まで引くという計画を持った男・川北が現れ、町の問屋から出資を募っていた。親方に戒められながらも、川蒸気に憧れる平蔵だが……
川越は、小江戸と呼ばれ、今でも観光地として賑やかな土地ではありますが、時代ものとの関わりで言うと、領国としていた松平伊豆守や柳沢吉保、あるいは喜多院の春日局といった人々との関わりで言及されるのが大半という印象があります。
本作はその川越――それも明治初期の――を舞台に、それも川越の水運業を中心とした視点から描かれる、ユニークな物語です。
本作の中心人物の一人・平蔵は、元々は武士の家に生まれながらも、幕末の混乱の中で家族を全て失い、下新河岸の回漕問屋(いわゆる廻船問屋、船問屋)・旭屋で育てられた青年であります。
そんな彼が、東京からの帰りに隅田川で出くわしたのは、半死半生で漂う美しい少女・おみつ。深川芸者だった彼女は、政府の役人と屋形船に乗った際、何者かに襲われ、川に飛び込んだのでした。
行く当てもなく、平蔵に伴われて旭屋を訪れたおみつですが、実は旭屋の主・政兵衛は彼女を小さい頃から知る人物。彼女と共にいた役人が殺されたことを知った政兵衛は、彼女を店に匿うこととなります。
このおみつを巡る事件が本作の横糸だとすれば、縦糸になるのは、川越に訪れた川蒸気(蒸気船)フィーバーです。
おみつの事件とほぼ同じ頃、川越に現れた日本橋の通運会社の代表を名乗る洋装の男・川北と秘書の野島。彼らは、旭屋とはライバルの回漕問屋・綿貫の主に言葉巧みに取り入り、川越への川蒸気就航への投資を持ちかけたのであります。
なるほど、時は陸蒸気が開通してまもない、頃。そして江戸の頃より、新河岸が、江戸との間の水運で栄えてきたことを思えば、川蒸気就航は時節に適った話ではあります。
政兵衛は川北に疑いの目を向ける一方で、平蔵は新河岸に現れた川北の川蒸気・飛鳥丸に夢中。政兵衛に頭を下げて、飛鳥丸に乗り込むのですが……
最初に述べたとおり、川越という舞台が特色の本作ですが、もう一つの特色は、水運の世界を題材としていることであることは間違いありません。
江戸が水の街としての側面を持っていたことからもわかるように、江戸時代の重要な輸送手段だった水運。それは時代が変わり、明治となっても変わることなく……いや、蒸気機関という手段により、より力を増したとも言えましょう。
本作はこれまであまり光の当てられてこなかった、しかし決してその存在を軽く見るべきでない題材を、上で述べた二つの事件を足がかりに描き出す物語と申せましょう。
しかし本作の特色は、もう一つ存在します。それはこの舞台、この物語に登場する人々の織りなす人間模様、複雑に絡み合った因縁の糸であります。
興を削がない程度に申し上げれば、本作に登場する人々は、政兵衛がおみつの幼い頃をよく知っていたように、その多くが、意外な結びつきをもっております。
誰と誰が、どのように結びついているのか――それは裏返せば、その人物がこれまで送ってきた人生の現れ、縮図と言えるでしょう。
人の人生と人生が思わぬところで関係し、物語を紡ぎ出す……本作のそんな性格は、正直なところ、人によっては偶然が過ぎると感じるかもしれません。
しかし作者がその人々の結びつきの連鎖を敢えて描いていることは、本作の題名を見れば明らかでしょう。
作中で語られているように、高野長英の門人・高野隆仙の書にある「華舫」という言葉。それは、本作においては政兵衛の座右の銘として――舫い合った船のように、結びつく人と人の関係を指すものとして語られるのですから……
そしてその言葉が示すとおり、完全な悪人がほとんど登場しない本作においては、その人と人との結びつきが、何よりも心地よく感じられます。
惹句にあるような歴史ミステリ(あとがきを読めば、それも決して間違いではないのですが)とはいささか印象が異なるかと思います、しかし爽やかで――そして本作ならではの味わいを持つ物語であることは間違いありません。
『華舫』(熊谷敬太郎 NHK出版) Amazon

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