« 澤田瞳子『与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記』(その一) 無名の人々と食を通じた大仏建立譚 | トップページ | 戸土野正内郎『どらくま』第2巻 影の主役、真田の怪物登場? »

2015.10.30

澤田瞳子『与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記』(その二) 仏はどこにおわすのか

 『若冲』の澤田瞳子が、東大寺大仏建立を造仏所の炊屋(食堂)を通して描く『与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記』の紹介の後半であります。食事を通して地に足の着いた視点から大仏建立を描く本作ですが……

 そしてそんな本作を通じて、一つの背骨とも言うべき存在となっているのが、炊屋の主・宮麻呂であります。

 朝昼晩と(仕丁は重労働なので昼食もあり)働く男たちに十分な分量の食事を用意するだけでなく、先に述べたようにその味で満足させ、元気づける宮麻呂。
 人当たりは荒っぽい男ではありますが、限られた素材に工夫を凝らし、時には自ら材料を調達までして仕丁たちのために――いやそれだけでなく、満足に食事もできない奴婢たちのための分まで――料理を作る彼の姿は、真楯たちを、いや我々読者を大いに元気づけ、惹きつけてくれる存在であり、彼のいる炊屋は、仕丁たちの心の拠り所でもあるのです。

 しかし同時に、物語が進むにつれて浮き彫りになっていくのは、彼の謎めいた過去。奥州の人々の言葉を解し、そして行基やその弟子たちとも面識を持つ宮麻呂。果たして彼は何者なのか、そして彼は何故料理を作るのか。

 造仏所に働きながらも、大仏を、仏の道を毛嫌いし、価値を認めない彼の謎めいた姿は、個々のエピソードで語られた物語とも結びつき、大きな問いかけを我々に投げかけます。
 大仏が本当に多くの人々を救ってくれるのか。多くの犠牲を払って造営される大仏に本当が価値があるのか。そして何よりも本当に仏はいるのか、いるとすればどこにいるのか――と。

 確かに、本作で様々な形で描かれるように、大仏建立はあまりにも多くの人々の人生に――それも多くの場合、ネガティブな形で――影響を与えてきました。もしも大仏が真の仏であるならば、そんな人々を救い、幸せにするべきものでありましょう。
 しかし、いくら巨大であったとしても大仏はあくまでも仏像。像に過ぎないのであります。

 それでは、真楯たちの働きには意味がないのか。宮麻呂が言うように、仏などこの世にはいないのか……
 そんな悲痛な想いに、本作は静かにしかし力強く、「否」と言ってのけます。そしてそれは単に仏の存在を肯定するだけではありません。そこで肯定されているのは人間一人一人、我々一人一人なのであります。そしてそこに、仏教の教えの根本を感じるのは、私だけではないでしょう。


 遙か昔の一大事業を舞台にしつつも、決してそれを遠いものとも、愚かなものとも感じさせず、そして高らかにこの世にあることの素晴らしさを謳い上げる……それも、誰にとっても口当たりが良く。
 本作の妙味を心ゆくまで堪能させていただきました。満腹であります。


『与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記』(澤田瞳子 光文社) Amazon
与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記

|

« 澤田瞳子『与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記』(その一) 無名の人々と食を通じた大仏建立譚 | トップページ | 戸土野正内郎『どらくま』第2巻 影の主役、真田の怪物登場? »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/13655/62548758

この記事へのトラックバック一覧です: 澤田瞳子『与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記』(その二) 仏はどこにおわすのか:

« 澤田瞳子『与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記』(その一) 無名の人々と食を通じた大仏建立譚 | トップページ | 戸土野正内郎『どらくま』第2巻 影の主役、真田の怪物登場? »